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no.16 -エドワード・ヴァン・ヘイレンと2020年のアメリカ-

2020年10月6日、エドワード・ヴァン・ヘイレンが天国に旅だった。

1970年代くらいに活躍した有名な音楽家が鬼籍に入ることは昨今は多いが、エディ・ヴァン・ヘイレンほど、追悼のメッセージがミュージシャンから出た人を、近年私は知らない。

つまり、彼の成し遂げたこと、彼の音楽的影響が大きかったことがよくわかる。

エディーはエレキギター奏法のパイオニアだったし、革命家であった。機材を改良したり、ギターを自分で作ったりして彼の思い描く理想の音像を追求していた。彼の演奏を聴いた沢山の人々は衝撃を受け、彼を真似しようと思った。

多くのメディアは、「ライトハンド奏法(右手でタッピングをする奏法)をした人」とだけ伝える。それが何かは、この映像を見ればわかる。
この奏法の創始者が、エドワード・ヴァン・ヘイレンである。

エディーは若い頃は来る日も来る日もギターを練習していたそうだ。
トイレに入る時も、常にギターを抱えて、その音色を追求していたそうだ。

私がエレキギターを手にして練習していた頃、エレキギターを学ぶ本と言えばハードロック・メタルの教則が掲載された月刊紙だった。そのギター専門誌は、テクニカルなものばかりで、私は全くついていけない音楽だった。

その中で、ある日特集されていたのが、ヴァン・ヘイレンだった。

もちろん、エディーの奏法はものすごく難しかったが、90年代に流行っていたハードロックの奏法よりは自分にもできそうだったし、何よりもメロディーが美しかった。自分で弾いていて、最も心地よかったのがエディーのメロディーだった。

彼がいなかったら、私はギターを練習していなかっただろうし、彼が自由にギターをかき鳴らし、本当にたのしそうな表情を見ることがなかったら、ギターの素晴らしさなど感じることもなかっただろう。

例えば、上記で挙げたギターソロは、バロックやバッハを感じさせるものだし、ブルースを基盤にしながらも、モーツアルトや、クラシック音楽を感じさせる構造もあった。そして何よりも、エディーのオリジナリティしかなかった彼の音楽に私は虜になった。

印象的なリフ、3秒で人々を圧倒してしまう印象的な旋律をエディーはたくさん編み出した。3秒のパッセージで、聴いてる側は、喜びや悲しみを瞬時に感じ取る。これほどまでのメロディーメイカーは、はっきり言って皆無だと言っていい。

メロディがわかりやすく、ポップセンスがいたるところに散りばめられていた。そのセンスが発揮された曲といえば、誰でもご存知の”JUMP"であろう。

"JUMP"が発表されたのは1984年。
JUMPは「アメリカン・ドリーム=失敗してもまたチャンスがある」という楽観主義を歌い、その象徴だった。

しかし2000年を境に、経済のグローバル化、富が僅かな人にしか集中しない新自由主義的な資本主義がアメリカの主流になり、アメリカン・ドリームはいつしか「圧勝」する人の考えになった。

JUMPを支持した多くのアメリカの中流階級は消え、2020年のアメリカは完全に変わった。思い描く未来は、人によって全く異なるようになり、それぞれがグループ化している。それぞれの価値観の中で、思い描く未来や希望は、それぞれ違うものになった。

地方と都市の貧富の格差が圧倒的になり、それを解消して欲しいと思う地方の保守派を支持する人々。
(2016年にある「天才」が、マーケティングの優秀な人材を擁しながら、彼らの格差への不満と社会への不安を見事にすくいあげ、幻想のような「アメリカン・ドリーム」を提供し、「顧客満足度」を上げて投票数を伸ばす仕組みを作り出した。その「天才」の言葉が例えウソであっても、地方の保守派の人々は自分たちの生活が少しでもよくなれば、満足なのだ。それが、彼らの悲哀ではあるが。)

人種の不平等への抗議活動である、Black Lives Matterを支持し、機会の格差を是正しようと思う人々。
(エッセンシャルワーカーの多くが黒人やメキシコからの移民で、コロナ禍で命を落とす人も全米で最も多い中、人種の違いで生命の危機に直面する人々が多い。また人種で経済格差も生まれてしまい、機会の平等は進んでいない。)

環境問題や社会の経済格差をなくし、大学の授業料を無料にし、北欧のような福祉国家にしたいと思う民主社会主義を提唱する人々。
(今、アメリカの大学に通うには年間600〜1000万円は必要で、Z世代と呼ばれる若者の多くが2000万円以上のローンを組み、30年かけて返済する状態にアメリカン・ドリームはあるのだろうか?)

今のアメリカの人々の心の奥底にあるのは、不安である。その不安が至るところで噴出している。そこには、メディアが喧伝する「分断」というよりは、共通の社会に対する不満があり、その不満が全く共有されずにレイヤー構造になっているだけのようにも思える。

富める人も貧しい人も、人種も関係なく誰もが思い描けた、1984年のアメリカン・ドリームはもはや存在しないのだ。

2021年以降、アメリカは「ロスト・アメリカン・ドリーム」の状態から新たな時代をどのように切り開いていくのだろうか?


時代とシンクロするように、2000年に入ってから、エディーは体調を崩したらしい。癌にかかり、アルコール依存症に悩まされて、2000年以降、一度ほとんどギターが弾けなくなったこともあったそうだが、そうした状況から復活し、2013年には東京ドームでライブを行っている。


1996年頃、エディーのインタビュー記事を読んでいて、今でも覚えていることがある。


「作曲するときは、オープンマインドであるべきだ。そうすると、神様が音楽を与えてくれるんだよ。」


当時、私は横浜に住んでいたが、その時の本屋の印象と彼のこの言葉が、イメージとしてはっきり覚えている。それくらい、私にとって大切な言葉だった。

彼の音楽は、時代を超えて、今でも私の心の奥底に響いている。

私の生きる日本もアメリカとさほど変わりはしないが、たとえ時代がどうなろうとも、彼の笑顔と、何かを極めようとする熱意を忘れないようにしたい。

そして私はエディーが奏でた、「楽観」を信じながら生きたい。

ありがとう、エディー。


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