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まちづくりの過渡期

少し前に、立て続けに「あなたにしかそれは言えない」と言われることがありました。

何を言ったのかというと、シニアの方からある案件で「お若い方々にやってほしいんだけど、、」というお電話があってお話を伺ったのですが、「若い人とか言わないで、ご自身で堂々とやったらいいんですよ」とお伝えしまして、その話を聞いたある若い方から「自分には、そこまではっきりとは言えない。そんなことを言えるのはけいこさんだけ」との感想をいただきました。

誤解のないように書いておきますが、私は「お若い方に、、」というお話全てにNOと言っているわけではないです。お話を伺って、これはいい関係性でやっていけると思えば、ちゃんとおつなぎもしています。

「それはご自身でやった方がいい」と私が判断するのには、実は基準があります。それは「(年上の)自分たちのやり方はそのままで、若い人にやってもらおうとしている」とお話を聞いて思えたときには「それなら自分たちでやったほうが、お互いに気持ちよくできると思いますよ」という内容をお伝えしています。

具体的な話をします。
数年前のあるイベントの話です。出店者として参加してくださる方とはメッセンジャーというツールで連絡をする事に決まりました。メッセンジャーを使えない人がいると思うけどどうする?って質問が出た時に、30代くらいのイベント主催者の方は「使えない人のフォローまでの時間は割けないから、それなら参加してもらわなくてもいい」という結論をあっさりと出しました。「こういう時代がリアルにとうとう来たなあ〜」と、思いました。

これは若い人たちが意地悪とかめんどくさがりとかでは決してなくて、地域のためとかより良い未来に向けてボランティアで自分の時間を削ってやってはいるんだけど「時間は有限で、自分たちの持ち時間を考えたら、そこまではできない」との冷静な判断なんです。

これは一例ですが、同じ地域に暮らし同じ日本語を使ってはいても言葉や概念が通じていないときがあります。それはもうこの時代には仕方がない事で、私も子どもが言っているSNSやゲーム関連のことがサッパリわからないときが何度もあります。地域のイベント開催にあたってのスタッフの連絡用のツールにしてもFAXを送ったり書類を家まで届けるのに慣れている方々と、ZoomやSlackが当たり前の方々とが一緒に事にあたろうとするなら、お互いが「それでも一緒に事にあたろう」という覚悟と、どちらとも話ができる(もしくはお互いの言っていることを通訳できる)調整役の両方が「絶対に必要」です。

今の私の考えですが、同じ活動を一緒にやるのではなくて、目的が同じことを確認したらそれを良しとして、一番自分たちがやりやすい手段が使える小さなチームでやっていくことが今はいいのではないかと考えています。無理にいつも一緒にやろうとしなくていいと思っています。その上で、たまには一緒にやったり相互乗り入れするような形が一番気楽にできると思うのです。例えば「健康づくりが大事だよね」ってことはしっかり確認してから、グランドゴルフをやりたい人はグランドゴルフを、卓球をやりたい人は卓球を、ダンスをしたい人はダンスをしたらいいのだと思うのです。それでたまにスポーツに関する勉強会をやるとか、飲み会をやるとかしたらいいと思うのです。多人数がいつも一緒にやることに価値を置かない方が、より幸福度が高い活動ができると思うのです。

そうなると、数でない評価の仕組みや、活動の総合調整のしくみが必要だと思います。活動の総合調整の仕組みとしてはお隣の菊川市にあるような市民協働センターのような機能が御前崎にも必要です。

少し前にアンケートを実施していたので、今年度末くらいには御前崎にも「協働の指針」ができるのと思いますので、その先の展開を期待していますし、しっかりみていきます。

これから本格的にやってくる「まちづくりの過渡期」を明るく前向きに、他罰的にならない形で乗り越えていくために、私も私自身ができることはしていきたいと思っています。

お読みいただきありがとうございました。



















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