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本質、ってなんなん?

またしても恕(じよ)ちゃんのLIVEからお題いただきました。
このLIVE↓で話した事が
「分かるような、、、?分からないような、、、?」と言われたのでその要約なのですが。

「物事の本質」って、時々問われることがあると思うのだけど。
「本質」という言葉そのものの意味を語るつもりはなくて、
その使われ方について話しています。

「本質」という言葉とセットで出てくる動詞は「見極める」。
その言い回しの纏ってるイメージって、
玉石混交の「たくさん」の中からキラリと光る、だだ一つの「間違いのないもの」を
的確な言葉で言い表せよ、言い切れよ、と言われているような気がしていて。

それを「砂浜じゅうの砂の中から一粒のダイヤモンドを探せよ」と言われてるみたいだなぁ、という映像イメージが湧いたのです。
それって無理じゃない?って。

それに対して私の頭にボカーン!って浮かんだのが
「それは探すのではなくて、分解していく作業なのでは?」という考えでした。

たとえば「問題の本質」を探したい場合。
その「問題」に関係する、あらゆる要素を
どんどん取り外していって、切り分けて、中心因子を分解していく
というか、

「問題」だと思われる事象にズームインしていって、、、
Google Earthで、ポッカリ浮かぶ地球から自分の家の上空写真に降り立つように
グイーーン!と迫った時の最終地点がその「本質」になるんじゃないかな?と。
とにかく、イメージはズームインなのです。

それと、もう一つ浮かんだのは「本質は不変の、たった一つの物なのだろうか?」という疑問。

たとえば「異国の人たちから評価を受けている、日本の伝統工芸や文化の本質とは!」とか
そういう事、言いたがりがちだけど
それって一つに絞り込めること、、、?って思うのです。

そういう事を、上記リンク先の音声配信では
色々、いろーーんな例を挙げて「こういうこと。伝わる?え?伝わらない⁉︎」って
ずーっと喋ってコネクリ回しているのだけど。笑

つまり、何が言いたいのよ!と言えば。です。

「本質」なんて言葉はとても空虚なんじゃないか、という結論に到達してしまったのです。
「原点」とか「真髄」なら解るのよ。イメージもしやすいし使い方も解る。
でも、「本質」って定義が曖昧すぎない?

だから、
物事の本質をさも限定的に語りがちな人は信用ならん!」
「本質を定義したがる人はアタマ良い風の価値観押し付けジャイアンなんじゃないか」
「上質、は知っておいてもいいけど本質、なんてわからん!」
「私は本質はなんだ、と突き詰めるよりもその構成する要素の数々にタッチしていきたいタイプなんだ」

というのが、私なりの主観タップリの結論です。笑

ええ、身も蓋もないの極みなのです。笑

最後の方でこうも言ってますね、
「歳を重ねると、正解は一つでなくても慌てなくなるのかねぇ」と。
だから
本質、なんて追及しなくてもいいんじゃない?
って思ったりもするのです。

するってぇと、そう考える私の本質とは、、、⁉︎(ふりだしに戻る)

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