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生きていることがつらいなら

万人にではなく、誰かひとりにとどけーと書いてみます。

~8月31日の夜に。~

こんばんは
私は白血病患者です。
私は自分の血液では生きていけない身体になってしまいました。

8月に造血幹細胞移植というものを受けます。
私は子供を産むお母さんから臍帯血という
大事な大事な血液をもらいます。

もしかしたらあなたのお母さんや近しい方かも知れません。

私は赤ちゃんと同じように改めて
最初から生きなおす予定です。

想像もしなかったいつもと違う夏が
今年はやってきたかも知れません。
私も想像もしなかった人生が
今年はやってきました。

苦しみの中にもしもいるのならば、
何か避難場所が必要かも知れません。
何か心の拠り所が必要かも知れません。

私には好きな映画がクレヨンしんちゃんにあります。

建物の上から飛び降りようとする大人に対してしんちゃんは
「ズルい!」と叫ぶのです。

死ぬのってズルいんでしょうかね?
私もその可能性が出来て考えたんです。

確かにズルい。
そりゃそうだ。

母と父から命をもらい、
兄姉や親族の近くで愛をもらい、
幼稚園では先生や友達と泥をつけて遊び、
小学校では放課後に校庭を駆け巡り、
中学校では部活で校庭を駆け回り、
高校では人を好きになり傷つけ、
大学では働く道筋を立ててくれた恩師がいた。
社会に出て、苦しさや嬉しさに触れた。
妻と出会い、子供が産まれ、色々な人を知った。

無論、嫌な経験も沢山したし、
道に逸れたこともある。

でも、時が過ぎると案外ふつうだ。

今でもそう。

注射を打つ前が一番怖い。
注射を打ってしまえば既に過去。

死ぬのはズルい。

誰の人生も一人では出来あがらない。

「もしも僕が死んでも
泣く人なんて一人もいない」

嘘つき。そんなの嘘に決まっている。
自分に浸るな。
他人に浸れ。

生きていれば何かしらある。
ただ、どんな人でも
人生の最後は
悲しみに満ち溢れるよりも
楽しみに満ち溢れて欲しい。
見ず知らずのあなたの人生ですら、そう願う。

大それたことではなく
誰もが望めば出来ることもある。

~後書き~

この文章は、
NHK Eテレによるキャンペーン
「#8月31日の夜に。」
をみて書きました。

毎度毎度の言い訳で申し訳ありませんが、
私は説法をするような人間じゃございません。

ただ、私も「学校行きたくねぇーな」と思ったことはあります。
そんな学生時代はポエムをネットに投稿していました。

10代の皆さんにとっても
今年はいつもと違う夏休みかも知れません。
でも、同じ夏休みなんてないよね。

もしも命と向き合って、
くじけそうな方がいるならば、
少し思い直してみてください。

私も命と向き合っています。
悩んでいる人がいれば、
好きなことを想い、文字にしましょう。
私は文字を書くことで直接触れられない人たちと
コミュニケートをして元気をもらっています。

人それぞれの表現方法はあるものです。

ちなみに病気になっていなかったら
こういう文書は書きませんでした。
病気になって不思議な積極性が副作用として出ております。
妻にこの文書をみせたら
「なんかわちゃわちゃしてるね」って言われました。
わちゃわちゃしてる文書を書きたい日もあるんじゃい!

ありがとうございました。