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温故知新2

ツイッターでちょと話になったので。
高校卒業してからの私の話を。

専門学校に入った時は「アニメの音響監督」になりたかったんですよ。
なので同じクラスの仲間は演出家志望が多かったです。でもクラスで何か作るなら、技術パートは必要なわけで。
その中で自然に技術パートをやるようになりました。
そのうち演出意図にそって技術パートやる事が楽しくなって、そっちばかりやるようになります。

半端ない就職氷河期の当時入社したのがアオイスタジオでした。
本当に他業種多岐に渡る仕事をしていて。
音で言えば、映画、CMの現場録音からDBまでして、最終リレコ(フイルムレコーディング)まで。
アニメのAR、DB。PR映画のMIX。映画予告編DB、TVSPOTのMA。

そこで入社直後やっていたのは、フィルムの映写機の操作でした。
なので実写映画、アニメーション映画、ニュース映画、映画予告編をDBする際に持ち込まれるフィルムを映写機にセッテイングして、フィルムの映写機を動かすためには映写機の脇にいてリアルにモーターの電源をオンにする。という超アナログな仕事。

まあ一部スタジオ側からのリモート操作ができる部屋もありましたが、基本は手動でした。

そのうち余裕があればスタジオの仕事を見学するようになり、実務を見様見真似で練習するようになりました。
そんなこんなで気がついたらアニメーション助手をやるようになりますが、
まあ当時の他スタジオはどうかわかりませんが、多種多様な仕事をしていたスタジオでアフレコする事が割と大騒動で。(今はそんな事ないです)
スタジオにTVモニターをかき集めたり、アフレコの為にミキサーを設置したり。VTRを運んできたり。アフレコの準備が非常に大変でしたが、ある意味で様々なことを覚えました。
当時、アニメーションのMIXERは会社内にはほぼいなくて、作品によって毎回はじめましての技師さんとスタジオオペレーターとして付き合う事がほとんどでした。もちろんシリーズだと毎回一緒ですが、会社内のMIXERよりも外の方との仕事が多かったくらいです。

アオイスタジオのミキサーさんとの仕事も徐々に増えていき、
多くの助手経験をさせていただきましたが、この頃は映画の仕事も大半が外部の技師さんだったので、そんな方々の助手仕事が徐々に増えて行きました。
そんなこんなで、映画の助手仕事をやっているうちに、現場録音は終わっているが、最終MIXだけ行う整音の仕事の依頼をうけるようになりました。
整音助手の経験はあったのと、多くの先輩技師のやり方を学ばせて頂いた環境だったので、いくつかの作品を携わらせていただきました。

とあるCMでしたが、長い間助手をやっていたシリーズの仕事のミキサーの宛がなく、困っていた際に「やらせてください」って電話したのをきっかけに、Mixの仕事を徐々に増やして行きました。

この間にスタジオ内で完結する仕事は色々やりました。
吹き替え、アニメ、ゲーム、の収録、編集、MIX。

それと日本映画・テレビ録音協会で多くの先輩と出会えたことも大きかったですね。

色々紆余曲折のなかCMの現場録音をする機会が何度かあり、現場経験値を積み重ねているうちに、先輩が行けない現場録音の仕事の引き受け先を探していたので、「やらせてください」と言ったのが、きっかけで映画の現場にも行くようになりました。

タイミングときっかけと運。なんかそれだけで生きてる気がします。






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