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実家に住まいながら「家にかえりたい」?

いっとき、そんなことばっかり言ってました

実家暮らしで「住処」はあるけど、《家》にくらしている実感がない。
ひとりのときも友人といっしょのときも、なぜかさびしい・・

家にかえりたい
そんな日々がつづいていました。
結局そのときは何ら理由もわからず、解決もせず
いつの間にか忘れてしまいました。

屋久島で奇跡講座を知ってから

奇跡講座では《この世は自我のつくった幻であり、そこには真には存在しない》とあります。
《わたしたちは、真にはこころであり人間ではない》《神の子であり、いまも常に永久に神のもとで安らかに住まう》とあります。

つまりあのとき「家にかえりたい」と言ったのは、真実でもあったのです。
自我のつくった幻ではなく、神のもとで目覚めたい。神のもとにやすらいでいる自分に戻りたいという、こころからの願いだったのです。

現在もこの世に暮らしているのは変わりませんが、仕掛けを知っている手品を見ている心境です。
わたしも含めた全自我が、この世界にいるとおもっている。
だから、わたしの肉体もここにあり感情も動く。
日々嫌なできごとや辛い感情を引き起こす。

始まりはここから

わたしのなかで
「この世は現実で肉体をもってここに生まれた」という間違った信念を持っているあいだはここにいます。
その信念は、くりかえしくりかえし《この世は現実である》と訴えます。
そのことばを信じたい気持ちがあり、それを手放したくない気持ちがそれを現実化しています。

という状態を確認して、ここから始めると決意しないと自我の夢は醒めないのです。
そんなことはない。この世は現実だと思いたくなることが、自我そのものです。
その自我を手放す、それには私一人では手におえません。
イエス、精霊とともにその決意を強くする。

イエスや精霊は、神の真実の声の象徴ですから、別になんでもいいのです。

真実に目覚めようとする意欲。
そして、一人でなんとかしようとしないこと。

奇跡講座の教えを信じなくともいいのです。
ただそれを使ってみて、こころが安らかになれば
それを使い続けたらいいのです。

確かに理解しがたい内容が、たくさん書かれてあります。
投げ出したくなる気持ちも、正直あります。

それでも投げ出さないで、続けているなら、それがあなたの道、わたしの道なのです。



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