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イエス・キリストは十字架で苦しんだのか?

奇跡講座をつたえたのは、イエス・キリストといわれています。
イエスの最期は磔刑に処されたとあり、肉体を傷つけられ苦しませるために行われたと。

大勢のひとが見守るなか、異端児であやしげな教えを広めるイエスを磔刑にし、苦しませた。それは《人類の罪を背負って、責任をとらされた。イエスは罪深い人類の身代わり、犠牲者だ》という解釈がほとんどでしょう。

しかし、奇跡講座によると犠牲でなく《自我を手放したイエスにはなんらくるしむことは無い。神の愛をそのまま顕現・あらわしたのだ》といいます。

イエスは自我のつくった肉体という幻を超越した、本来の【神の子】であった。
神の子はイエスだけでなく、人類全員がそうであると、宣言しています。

ただし、磔刑は極端な例だから皆がやることもないだろうと、イエスは語っています。

同じことを経験しても、かんじることはそれぞれ異なる

同じ言葉を聞いても、ある人はとても傷ついた感じをもち、ある人は全然そんなことを思わない。 よくあることです。
その違いはどこから発生するのでしょうか?

それが赦しに繋がっていきます。
赦しについての考察は引き続きます。


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