Mちゃん

おほっどうやら巷ではマスクの事をMちゃんと言うらしい。
可愛い(´・∀・)
これ良いね。
可愛くするのって良い、響きもなんか可愛くないですかぁ?
僕だけだろうかとりあえずちゃん付けしたら可愛くきこえてしまうのよ。

とまぁ今日はこのMちゃんについて想うことをダラダラ書いてみよう。

そもそも散髪屋としては顔剃りの時はマスクの着用は義務である。
今さら学校で習った事をしていない散髪屋をどうかしてると思う。
だってお客様とのガス交換を避けるために、顔剃り時、面と向かった場合はマスクしましょうって習ったんだもん。
適正な消毒も保健所からの義務であるからやって然るべきである。
散髪屋さんとしては当たり前。

まぁ散髪屋さんの立場はそんなもん。

じゃぁ市議会議員のマスク騒動はどうだろう?
そもそもマスクをしない事に法的根拠は無い。
マスクの効果も様々なエビデンスが合って正直しないよりマシ程度の認識であろう。

それでもマスクをしないなら退席というのは民主的ではないのではないか?
もちろん議長の立場から考えてマスクしたら発言は認めるのだからマスクしなさいよ。
というのも解る。

しかし議員の主張はマスクをしない権利の主張だから、ここでマスクをしてしまえば彼の主張をまげてしまう事になるのでそれは出来ないでしょ。

しかしこれでは議論は出発地点に立てない。

ではどうしたら良いのだろう?

ここは!マスクをしない権利を訴えるために一旦発言許可を貰う為にマスクをします。
と宣言してから相手の土俵に入り、どういう理由でマスクを付けないのか、科学的根拠はこの論文にあります。
その為私どもはマスクをしないと言えば良いのではないでしょうか?

その上で発言をさせて貰えないのは民主的ではない、自由を害されてる。
同調圧力でマスクをさせられるのは個人の尊厳に関わるとでも言えば主張は曲げずに発言する事が出来るのではないでしょうか?


先ずはマスクをしない事が悪というストーリーを作り上げ、個人をやり玉に言いたい放題攻撃をするメディアを考えて欲しい。

彼は個人でそれを背負い、それでも意見を曲げない、行動でそれを訴えているのでその他議員よりもマスクをするかしないかという事に関しては仕事をしているともとれる。
もっと深掘りすればマイノリティの意見を届けるという民主主義姿勢に従事しているとも捉えられる。

もっと世間は暖かい目で彼の主張を通して議論する事を考えるべきではないだろうか?
マイノリティが黙殺される同調圧力の中で、メディアから個人攻撃され、一方的に仕事をしていないというレッテル張りをするのではなく、彼の姿に何かしらの意味を見出だしてはいかがだろう?

マスクする事は義務ではなく、個人の自主性にある訳で、みんながやってるから私もやる程度で付けてる人がほとんどだと思う。

みんながやってるからアナタもしなさいは全体主義の同調圧力以外何ものでもない。

ほんとマスク一つでこの有り様なのだから日本の先行きが不安であるな。

己の頭で考え行動しましょう。

今はエチケットマスクって事で余計なトラブルに捲き込まれないようにするのも一つ。

するしないは個人の自由。

そもそも人も居ないのにマスクつけてランニングしてる人を観るとプロボクサーで心肺機能の向上トレーニングの一環かしら?
と思うのははじめの一歩の読みすぎかしら。

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