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観念

 ひとりの時、人は「人」ではない。ただの一生命体である。 いや、ひとりの時も「『人』であるという観念」があれば「人」かもしれない。ひとりで山に入ると削ぎ落とされていく「人」という観念。不要なのだ。人とすれ違ったり、人に追い抜かれたりすると、途端に現れる「人」という役柄。舞台で素顔は拝めない。

 "Back to Nature「自然に還れ」" なんて標語があったか。「自然」以外のどこへ還るのだろうと言いたくなるが、そういうことではないのだろう。「自然」は不変に自然であり、定義もなければ、同義語も対義語もない。元々「自然」という言葉すらも存在しない。自然は常に無言であり、畢竟「自然」しかない...?
 
 「自ずから然り」という。じねん。呼吸、心拍、何十兆もの細胞その他のはたらき。制御しているのは「自分」ではなかろう。138億年前だかに宇宙が生まれたという。仮にそうなら生命体、いや、量子さえも何かしら受け継いでいるはずである。誕生以前のことは不明らしいが、有無を超えているということだろう。

 宇宙の誕生以前のことが証明されたりしたら無始無終の世界に突入する。いや、どうにかして目鼻をつけるのかもしれない。メモ書きのように思いつくままに綴っているが、先日ふと、理解するよりも無条件ですべてを包むことが「愛」ではなかろうかとの思いが浮かんだ。逃げ場のない世界。手放し、底無しの自然。