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伝達

 愛らしいは、愛らしい? ある日突然、母国語のアクセントとごっちゃ混ぜになっている英語を「愛らしい」と思えるようになった。体裁よりも背後に広がる無二の世界へ目が開かれたのであろうか。気づきは常に一瞬だ。

 口頭のコミュニケーションは文法を超える? 文字以前のやりとりは依然として残っている? 書かれたものはどうか? 「雛形」のたぐいは苦手だ。履歴書に「詩人」としか書けなかった中原中也のエピソードを思い出す。

 アクセントを意識して話すと歌っぽくなる? いや、抑揚のない話や文章にも、選び抜かれた言葉や本心が潜んでいることがある。空っぽの心にしか気付けないもの。いや、いつだって心には無限の空きがある… か。