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"Windy Talk"

 「おおお!」となんとも言えぬ感情が生じた。いや、文明化以前の太古の話なので「なんとも言えぬ」ではないか。理性や知性の無数の層をものともせず、そんな感情が湧くことがある。「生死」の発見、「わたし」の発現。放射光のような物語のはじまり。はじまりを信じなければ終わりもない旅路。

 英語で「多言だが意味のない話」のことを "Windy Talk" というらしい。辞書を引くと「空論」とも出てくるが「くう」の話ではない。直訳だと「風説」が近い気がするが、それは "Rumor" らしい。これまで "Windy Talk" を会話で耳にしたことがないので文脈はつかめぬが、機会があれば聞いてみよう。

 "Myth" は耳にしたことがある。「神話」ではなく「作り話」の方。深掘りすれば同源に辿り着くのだろうが、そんな話をしようものなら「面倒臭い人」になってしまう。逆に、盛り上がったとしても、ひいてしまうかもしれない。井戸端会議は終われど、井戸の底の水は流れ続ける (枯れることもあろう)。

 こうした「観念」の対義語は何だろう。いや、まずは「観念」から。「物事に対してもつ考え (大辞泉)」というのが一般的か。「(時代劇調に) 観念しやがれ」なんて場合は「あきらめて状況を受け入れる (覚悟)」となり正反対の響きを感じるが、同じような感じもする。対義語が「現実」と言われても….

 観念的であっても、観念しようとも、現実であることに変わりはない。小耳に挟んだことが後々目を開かせることもある。そんな種はいつどこでも播かれており、いつどこで発芽するかは予想がつかない。偶然か、必然か、それとも、自然か.... そんな議論に終わりはないと気づけば「おおお!」なんてことに。