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文明

「へぇん、お金がないんですか。じゃ、物々交換ですか」私は驚いて、歎声をあげる。「まあ、物々交換といえばね。金というものが島じゃ第一必要ないんだから」土方さんは金などというものがある社会の方がおかしいのだというように静かな微笑みを湛え、眼を海のように輝かせて言う。(中略)「友達という言葉がないんですか、へぇん」嘆声をかさねる私。「そりゃ、そうですよ、なんせサテワヌは人口二百八十人のちっちゃな島なんだから。みんな子供のころから識り合っていて友達というものが必要ないわけだ」——土方久功の彫刻

『三つの言葉』 宇佐見英治

 宇佐見英治さんと、検索すると「日本のゴーギャン」などと称されている土方久功さんとの会話である。会話に出てくる「サテワヌ」は、現在は「サタワル島」らしい。土方さんはその島で7年間ただひとりで島民と暮らしたそうである。

 著作は絵本を除きほぼ絶版の様で、近所の古書店での扱いもないので、ネットで「遺稿詩集」を入手した。「文化の果にて」という著作も気になるが、詩集を紐解いてから。先日の「宮崎丈二全詩集」同様、難しい言葉は使われていない。

 サタワル島は、ゴーギャンが滞在した「タヒチ」とは結構離れているが、土方さんの作品を見る限り、島民の容姿が似ている。前者はミクロネシアで、後者はポリネシア。前者の右側、後者の上側は、メラネシアと呼ばれているらしい。

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 「日本のゴーギャン」(ほんと、こういう言い方は、安易すぎるというか、なんというか、好かないし、ちょっと腹も立ってくる)と括られる土方さんだが、ゴーギャンの『ノアノア』は読んだことがあるそうで、作品も好きらしい。 

 しかしながら「なぜ好きなのかはちょっとわからない。あるいは多分あまりに自分から遠いからかもしれない」というコメントを残している。うーん、ますます「文化の果にて」という著作が気になってくるではないか。さて・・・

 二百八十人と約八十億人の違いは何か。人間も含み、すべてが自然の産物であり、値札はどこにもついていない。そのすべてに値札を付けながら、感謝することもなく、踏み倒し続ける未開の「文明」社会。無論、自戒を込め。