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即妙

石鞏「君は虚空を捉えることができるか」西堂「できるとも」石鞏「どんなあんばいに、捉える」西堂 (両手で空を抱く)  石鞏「そんなことで、どうして虚空が捉えられるものか」西堂「君はどんなあんばいに、虚空を捉えるんだ」石鞏 (西堂の鼻をひっつかんで、ぐいと引きよせた)  西堂 (泣き声を出す)「ひどく人の鼻をひっぱりおって、すんでのところで、ちぎれるところだ」石鞏「虚空は、こんなふうに捉えなくちゃいかん」— 『伝灯録 六』『ダルマ』柳田聖山 (講談社学術文庫)

 かつて猟師だった石鞏和尚と、長老格で学者として尊敬されていたらしい西堂和尚の禅問答である。各和尚の詳細説明や問答の解説は専門家に委ねることにする。こころは見えぬゆえに見えるものが必要になる。ほんとか!?  統計は雄弁だが「今」を数値化することはできない。ほんとか!?  誰もが自分を高く売ろうとするのは生命に値札はつけられないからか!?

 ペットの感情が読めるってことは、ヒトの感情だって読めるアプリがあってもいいではないか (って、もう存在しているのだろうか)。そこまでいって何の違和感も生じなかったとしたら.... 「これ」といって差し出せぬが、あるとも、ないとも言い切れぬ心。心こそ 心迷わす心なれ 心に心 心許すな (最明寺入道)?   石鞏和尚に鼻をひっつかまれることは間違いないだろう。