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『山の詩集』 04

沈殿
辻まこと

 そう、いま静かな雨に閉ざされた夜のテントに、君が一人でいると考えてみてください。実際にいま私はそうなんです…. めったにない貴重な時間です。私たちはみな生まれてこのかた「お前は人間だ、人間だ」といわれ続けてきました。こういう強制的な契約意識からとき放たれた世界に置かれたときぐらいは、この人体という乗物から、心だけでもおろして散歩させてみるのも悪くはないでしょう。人間の尊厳、義務、権利エトセトラ、人間、人間といい続けるほど、これは上等な乗物ですかね? ゆっくり外側から眺め、その機構や機能をしらべてみるのにいい機会です。アノ人体かそれともコノ人体か、アノ思想かコノ思想か、そんな比較は軒並みにならんでいる生命のカタチの家々の中の、たった一軒の中での話だと気付くかもしれません。それからウンザリしたり、ヨカッタとおもったりしながらもう一度戻ってみたら?

『山の詩集』 串田孫一・田中清光 編

 はい、辻まことさんの登場です。この文章に興味を持たれたら、数少ない著作の中からピンときたものを一冊手に取られてみるといいと思います。個人的には一冊目は『山からの絵本』がいいかなと思います。

 Wikipedia に詳細がありますが、作風については何も書かれていません。いや、もしかすると書けないのかもしれません。串田孫一さんが『山の声 (文庫版)』の解説で辻さんを「不思議人物」と称しています。

 トップ画像の絵は辻さんの作品です。『おだてられて木に登ったけれど….』と勝手に題をつけておきます (本当は違います)。『山からの絵本』に収録されている「樹の上から」というエッセイの挿絵です。

 人はふだん「自分は人間だ」と意識することはほとんどないと思います。しかし、ひとたび「自然」に分け入ったりして、妙な「不自然」さに気づいたりすると「人間とは何か」なんて考えはじめたりします。

 自然がなければ、もちろん不自然もありません。自然を「じねん」と読んだところで何も変わりません。暫く山から離れて見えてきたことがあるのですが、再び山に入ればすっかり忘れてしまうと思います。

 すっかり忘れた後に何か書いたりするのですが「ああ!」とか「おお!」とかの瞬間は書けません。「山に限らず」の話ですね。不思議の中にいると不思議には気づけません。が、ひとたび気づいたりすると….