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一息

 間。「ま」でも「あいだ」でもなく「あわい」。意味は変わらずとも読み方を変えるだけで印象は変わる。固定電話から携帯、インターネットにスマホと、コミュニケーションの媒体が変化する中で失われつつある「あわい」。「そんなに急いでどこへ行く」という交通標語を思い出す。

 ゴールが「しあわせ」であれば、いつだって味わうことは可能である。しかし「もっともっと」と、欲望の炎に油が注がれ、既にあるものに気づけない。物質的なことに限らず、精神的なことも同様である。「足るを知る」というが「きりがないこと」に気づいてこそではなかろうか。