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啐啄

 駅から1.5kmほど歩いた先の古書店で「辻まことの思い出」と「辻まことの芸術」を購入した。先日、別の古本屋に行った時に、読みたい本が見つからず、手ぶらで帰るのもなんだなと思い、なんとなく店頭の棚で「三つの言葉」という宇佐見英治さんの本を買い、紐解いてみたら、上述の二冊を手がけられていることを知ってのこと。伺った書店の店頭のガラスのショウケースに「啐啄」という中川一政さんの作品が飾られていた。

 この古書店は通販がメインらしく店内探索はできず…. なので、事前に調べておいた、そこからさらに歩いた先の二軒の古本屋へ向かう。一軒目は休み。その先の二軒目に行くと人の家の書斎のような小さな店。はじめて伺うのでじっくり探索させていただいたが「これ」という本は見つからず。駅からかなり離れたので別の沿線の駅へと歩くことにする。様々なことが脳裏をよぎるものの家に近づくにつれすっかり忘れてしまった。

[辻まこと語録]

・原始人が森林に住んで、森林によって生きながら森林のおばけを迷信したように、現代人は文明のなかで文明のおばけを迷信している。

・一を聞いて、いや三でもよいが、十を知るというその想像力は大したものではない。ましてそれで「知った」と思うのは大変危険だと思う。そうではなく、十の経験を重層してたった一つのことを知ること、その方が想像力よりも大切だと思う。実際十を重ねて一を知りうるのはまだいい方かもしれない。その一つさえ知りえない、それが現実かもしれない。しかしもしも反復して、さらに反復してただ一つのことでも知りえたら、想像力よりもそれはもっと尊いことではあるまいか。

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