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メイクセンス

 「メイクセンス (Make Sense)」という英語の熟語があるが、どうやらまだカタカナ英語として使われていないようだ。意味は「意味をなす、道理にかなう、うなずける、筋が通っている、当然である、つじつまが合う (英辞郎)」。使われはじめたら、そこかしこで目に、耳にするようになる気がする。

 個人的には「つじつまが合う」もしくは「納得できる」という意味でとらえることが多い。いや、別に英語の話をしようとするわけではない。たとえ直感的に「メイクセンス」していないように感じても、いくらでも「メイクセンス」させることは可能だということ。思い当たる節がないだろうか。

 「直感的」と書いたので少々脱線し、直感と直観の話。直感は「推理・考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること」、直観は「哲学で、推理を用いず、直接に対象をとらえること」と説明されている (大辞泉)。「メイクセンス」しますか。それともどちらも「メイクセンスせず」だったり。

 他の辞書をあたれば別の説明が見つかり、また、哲学書なんかを紐解いたりしたら、それこそ出口無しの状況に陥ることになる。漢字にせず「ちょっかん的に」と聞いたまま、口から出たままでいいのではないか。「定義」の定義を構成する言葉をひとつひとつ調べていけば「?」なんてことになるのである。

 閑話休題。先日ある言葉にひっかかった。新約聖書にも旧約聖書にも載っている「汝自身を愛する如く、汝の隣人を愛せ」をインド的に転回すると「隣人を愛せ、隣人は汝自身なればなり」になり「タット・トヴァム・アスィ (梵我一如)」であると解することができるというヘッセの言葉 (『湯治客』より)。

 無理にメイクセンスさせる必要はないが、ひっかかるところには気づきが隠れていたりもする。直感にしても不思議と自然に修正されたり。視野が広がるほど「然もありなん」になり、直感と直観との違いの様に、狭まるほどに問いが生じる。 "One day it'll all make sense" という Common のリリックを思い出す。