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古事記の中の話かと思いきや

我が家にも起きたんですよ。
でも、至極当然なのかもしれない。
皆さんは、畑の命って考えたことがありますか?

私、生まれた時からじぃばぁが田畑を耕していて
小さなころから任務を与えられて、それに励むときもあれば、
作業をしている横で遊んで育ってきました。
田植えや稲刈り、草むしりは一家総出

それぞれに役割を分担して、せっせせっせ
幼いながらにずっとずっとそれが続くと思っていたし
時代の変化に左右されたとしても
ばぁの畑とそのエネルギーを一族で引き継いでいくもんだと
信じてやまなかった。

そんなことなかったんす!!!!!!!

ばぁちゃん、自分と一緒に畑、卒業させちゃったんす!

田んぼは、管理が大変なのと、
近隣施設からの申し出で土地を提供することになり
じぃが自分の手で手放したからいいのだけど(ええんかな?笑)、
我が一族の体作りの基本であるばぁの畑は
母や叔母やみんなで残して行こうって語り合っていて
それを聞いてばぁちゃんは
『お前やちにできぃだか?(出来るのか)』と
皮肉を言いながらも嬉しそうだった。

でも、
ある程度の儀式を終えて
少し落ち着いた母がくれた電話の第一声は

畑がね、駄目になっちゃったよ
 それは見事に、本当に駄目になっちゃった
。』

ばぁ見送りのことなどさておいて、第一声がこれだった。

もうすぐ食べられそうだった青菜や実りたちが
キレイにしおれて土がからっからに乾いてしまった

そういう状態だったらしい。
実際に自分で目にしたわけではないから、
その状態をこれ以上言語化できないけど、
ばぁの体がなくなる事より、ある意味辛い。

【人は肉体を手放すだけで、魂はいつもそこにある。】
精神世界に没頭しているわけでは決してなくて、
小さいころからそうやって命の営みについて学んできたから
人のに対してはわりとポジティブだと思う。
それがいいとか悪いとかではなくて、我が家なりの教えだから、
向き合い方については個々。
共感はするけど、押し付けるつもりも同情するつもりもない。
でも、それは実際、姪っ子たちにも受け継がれていて、
おかげでじぃのお見送りは笑いがあふれていたのだ。

しかし、畑は・・・

ばぁは起きたら畑、
そして何よりも自然の摂理優先だった。
土を触ると何でもわかると言っては色んなことを教えてくれた。
『人の生き死には土を触ればわかる』
『病気になったら土に返せ(土を触れ)』
『生まれた土地の土で育った食物を食べないと影が薄くなる』
(これに関しては、漫画の蟲師の一話に同じ内容があって、
 まさかの漫画に理解の後押しをもらった。)
私と言えば、
そういうものなんだ、と疑うことなく育ち、
もやっとポイントが溜まると裸足で畑を歩いては
畑の土に足を埋めてみたり
ただただ山を作っては崩して、自分と向き合った。
ばぁから届く野菜は基本土付きのまま。
食べる直前まで土を落とすなと言われていたのを
今も守り続けている。

そうやって過ごしていた畑が
ものの見事に駄目になったなんて。

でも、いつだったか、じぃが言っていた。
『土地は、主が誰かを知っている』
だから、世代交代というのはものすごい力が起こる。

まさに
おきましたよ、ジジ様よ。

我が一族にも、もれなく問題はある。
母の世代には、じぃもばぁも心を焼いていた。
徐々に行く道の同線のようなものが出来だして
それによって一族の関わり方も変わり始め、
今や大きく舵を切った新生代の生活が始まっている。

そんな状況をばぁがどう見ていたのか。
それがこの畑の終焉。

家を挟んで二手にあるどちらの畑も、ただの土になった。
届くと箱を開ける前から香りがして夏の体の養生に欠かせない赤しそ
食べごろを見越して収穫されるいちじく
しっかりえぐみがある青物や、お菓子みたいなニンジン
もちろん、同じクオリティは作れないとしても
ばぁが先祖から受け継いて育てた土は
これからも私たちの体を育ててくれるから大丈夫!と思ったが
畑は、ばぁと一緒に畑を卒業して、ただの土になった。
え?これはファンタジー映画とか
古事記の中だけで起こる話だと思ってたよ?

人は土地を選ぶ。
でも、土地こそ人を選び、養分を育む。
つまり主を選び主のために働く
自然の摂理を大事にした二人からの教育の一つ。

世代交代は悪いことなどでは決してない。
でも、見えないところで欲も悪くも必ず影響が出る。
我が一族に起きたのは、畑の死

ばぁちゃん、みんなの事心配してくれたんだね。
気兼ねなくこの土地を手放せるように。
新しい時代を迎えるために。
残す、ことを選ばなかったんだね。
でも、それでよかったよ。

ただいま!と言っていたあの家は、
二人が居なくなってから
天性の末っ子であるあの母ですら、お邪魔しますって
いうんだってさ。

嘘みたいな話なんて
きっとどこでだって起きてる。
すごく長くなってしまったけど、
今あるものが、
同じ形をとり続けることは出来なくても
そこにある想いが、
良き形で在り続けられるように。
私が出来ることなんて、みそっかすも浮かばないけど、
懸命に生きようと思います。

あなたも、どうか
その体に繋いでくれた人を思って
実家にただいまを言いに行ってください。

ばぁちゃんがついていくってさ。

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