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コモンズからラインズへ

このnoteはPodcastから一部抜粋した書き起こしです、全編はPodcastからどうぞ。

コモンズとリレーショナルアート

奥田:システムを考えてるんだけど、システムから入ってもシステムってわかんないってなってて、じゃあ先にやってる事例をみてみたいっていう感じで。なんか今までの話を踏まえて、リレーショナルアートの話に一回戻すとすれば資本主義とかリバタリアニズムとかを批判したアート作品とかって結構行われているのか、いや意外とそこまで触れられていないのかっていうとどう?

真部:そういうミクロユートピアでも敵対でもなく共同体みたいなことをいう実践としては田中功起っていう、

奥田:あーわかる。ヤシの木の葉っぱを売ってる人ね。

真部:そうそう。ヤシの木の葉っぱを売る人とか、あの人は結構そういうことやってて、詩人を5人集めて5人で詩を作らせるとか、5人ピアニスト集めて5人で曲を弾かせるみたいな。そういう共同作業みたいなことを最小単位の5人っていうので映像にするんだけど、映像作品としてみせることで民主主義とは?意思決定とは?共同体とは?みたいなことをみせる。

奥田:それってピアニスト5人集まって「何弾く?」みたいな話から入ってんのかな?演奏してるシーンだけ?

真部:いや意思決定のプロセスが多分メインだから、

奥田:やんね。今の話を聞いてコモンズの悲劇の話を思い出したんだけど。牧草地としてのコモンズ(共有地)があった時に牛飼いが5人ぐらいで共有してたとして、自分の牛にいっぱい食べさせようとしたらみんながみんないっぱい食べさせて、結果的に共有地が荒れて誰も得をしないんだけど自分の牛を食べさせないと自分の牛が損をするかもしれないみたいな。っていうジレンマがあり、だから共有地はもう等分してそれぞれに分け与えるべきなんだっていう考え方があって。実際そのピアノのやつもさ、ピアノっていう共有地をみんなでシェアしてちゃんと弾かないと不協和音になるし、、

奥田:田中功起に戻ると意思決定の話は誰かがリーダーシップを取るかみたいな話になってるってこと?

真部:私その作品はみれてないんだけど、評価とか読むと5人がフラットな関係のはずなのに喋ってるうちにだんだんどの人がリーダーでみたいなのができてきて視線のやり取りとかで誰が力をもっていくのかみたいなのが可視化されてて怖いみたいな。

コモンズからラインズへ

奥田:旅立つ場所と族の関係性が逆転するとか、そういうこともきっとあるだろうみたいな話はあったけど、その契機っていうのはなんなんだろうねっていうのは気になってて。それって「ダイエット幻想」の話に俺は結構思うわけなんですよ。

奥田:摂食障害で食べられへんかった人が改善に向かった契機が彼氏が「ぶよぶよちゃん」やっけ?普通摂食障害の人にお腹を触っていじるとか、そういうことしたらあかんのにそういうことをしたことによってそれが笑いに変わったというか、自分の中で消化できたというか。

森口:摂食障害の人に対して介助者としては多分絶対したらあかんようなことを平気でやるようなパートナーと出会ったことによって、そのイレギュラーな対応を面白いと思い、そのことを契機として快方に向かったという話があって。それはその人自身の両親とも娘の摂食障害に対して理解があって、自助コミュニティに行ったり摂食障害のためにいろんなことをしているんだけど、それが摂食障害の患者とサポートする親という関係性はそのままいくわけで、それは膠着したままの関係性になってて。それを「タグ付け」っていう概念でダイエット幻想では言ってたけど、どう考えてもそのタグの中では絶対にやっちゃいけないようなことをやってくるようなイレギュラーな存在が現れたことによって、たまたま事態が好転するっていう話をあげててやな。

奥田:面白かったんがそれをインゴルドのラインズを引用しながらなんか言ってたやん最後

森口:そうそう

奥田:共に線を描くことだみたいな。そこ結構サラッと行ったけどなんか書いてるかもしれんなって思いだしたわけよ。それはなんか族っぽいかもしれない。

森口:それはそうやな。それはめっちゃ思う。

奥田:きっと多分線はさ、インゴルドっぽく言うとどっかで結び目になって、それは塊で、そこにはいっぱいいろんなものが絡みついていくんだけど、その絡んだ線っていうのは、その先にもう一度線が離れたとしても絡んでいる状態は二度と離れなくて

森口:かつてラインが絡んだっていう

奥田:族について考えるとしたときに、ラインの話から入ってみるっていうのはありかもしれないね。

森口:それはなんか感覚的にはわかる。


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