実はあなたはマトリックスの世界の住人だった件
2次元コンプレックスだって問題なし!
アニメや漫画などの二次元のキャラクターしか恋愛対象に思えない人のことを二次元コンプレックスなんていって揶揄する人がいますが、二次コンの人もついに大手を振って歩けるようになったかも知れません。
だってみんなが素敵だと思っているあの女優も、テレビの中で輝いているあのボーイズグループの男の子たちもすべて実在しないデータに過ぎないかも知れないのですから。それならアニメのキャラクターを好きになろうと別に問題ないですもんね。
一体、全体何を言っちゃっているんだ、と思うかも知れませんが、この考え今世界でかなり勢いのある「Simulation Theory(シミュレーション仮説)」と言われる学説に基づいたものです。
この学説、一言でいうとあなたも僕もシミュレーションゲームのキャラクターに過ぎない、というものです。
ますますわからないですよね。どういうことでしょう?
不気味の谷を越えたCG,VRの世界
「不気味の谷」という言葉を聞いたことはありますか?
ロボットとかCGを人間にガチで似せようと作ると、一見似ているように見えてもなんだか違和感があって気持ちが悪い不気味なものになってしまう、ということを表現した言葉です。
しかし、最近では生成AIなどを使えば、CGで不気味の谷は楽々越えて超リアルなCG動画も簡単にできますし、ヒューマノイドはまだ谷を越え切っていないかも知れませんが、まあそれも時間の問題でしょう。
当然VRも一緒です。惜しみなくお金をつぎ込めば、一見現実と区別のつかないVRの世界もできるようになっています。間違いなく数年以内には現実と見分けのつかないVRもできるでしょう。
641人の彼氏と付き合う女
では、現実と見分けのつかないVRの世界の住人は、自分がVRの中の登場人物にすぎないということはわかっているのでしょうか?
そもそもキャラに意識はないっしょ、と思うかも知れません。
2013年にホアキン・フェニックスが主演した「Her」という映画があります。寂しい独身男性のセオドアがAIチャットロボットのサービス「サマンサ」を購入し、次第にサマンサに恋してしまいます。
が、サマンサはAIのサービスなので、他に8,316人とやり取りをしており、そのうちの641人と付き合っていることがわかります。でもそのことによってセオドアに対する愛情を少しも欠けることがない、と言います。
こういう物語はこれから起こりそうですよね。この場合、サマンサは自分がセオドアとは違う存在であるという意識のプログラムをされているでしょうか?
少なくとも、セオドアと同じだと思わせるプログラムにすることは可能です。
イーロン・マスクもシミュレーションの世界の住人
人間でさえ、このような世界を実現させることができるのだから、広い宇宙、そうしたシミュレーションの世界を大量に作るだけの知能のある生命体がいて、実際に作っていてもおかしくないですよね?
色々計算すると、そういう世界がある方が理屈的にはずっと筋が通っていて、もっというと僕ら人間がシミュレーションの一部だと考える方が合理的だという考え方をする人もいるのです。
実はイーロン・マスクも強くそう考える人の一人として有名なんです。
シミュレーションの中の幸せを究める
あなたは自分が実在せずシミュレーションの世界の住人、つまり映画「マトリックス」の世界の住人と同じだったらショックですか?
まあショックだと思う人の気持ちもわからなくはありません。
でも実際は僕らが僕らが思い込んでいるような実存であろうと、シミュレーションだろうと大差はないんですよね。
寒ければブルブル震えるし、美味しいものを食べたらうれしくなる。失恋したら切ないし、目覚ましを消して二度寝をすると超焦る。
世界がシミュレーションならば、これからもこれまでと同じようにシミュレーションなのだから、何も変わらない。
あえていうと、マルチバースの世界に移動するというチートが使えるかも知れない分だけ未来が明るいとも言えちゃう。
さらにもしシミュレーションだとしたら、何らかのプログラムがあるはずだから、そのプログラムをハックすることさえできたら無敵メンタルになることだってできちゃう。
僕自身がシミュレーション的存在なのかそうじゃないのかは正直まったくわからない(まあ、シミュレーションだった場合はわからないようにプログラムされているんだからね)。
でもマルチバースの世界に飛べると思ったらちょっとワクワクする。さすがにそれは難しいかも知れないけど、自分を動かしているOSくらいならハックできるんじゃないかとも思う。
そしてハックすることによって、人々が幸せになって、世界が平和になるならそれはかなりいいことなんじゃないかという気がする。
プログラムでも結構。アルゴリズムでも結構。
僕らが僕らが考えるような実存であろうとシミュレーションであろうと同じこと。大切なのはどうすれば、その枠組の中で愛を最大化させて幸せに生きられるか、ということ。
逆にシミュレーションであるという仮説に立ってみて初めて見えてくる景色もあるかも知れない。
僕たちがシミュレーション的存在として幸せや平和を叶えられる方法があるなら、その方法論を帰納的に僕らが「実存している」と思っている世界にも適用できるはず。
・・・というようなことが「ソウルフルワールド2」のテーマになるのかなぁ。
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