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0か100かではない

この世には『良い人』も『悪い人』も存在しません。ある人からしたら、その人は『良い人』かもしれないですが、別のある人からしたら、その人は『悪い人』のように映るかもしれません。いや、きっとどちらかに決め切ることはできないでしょう。

その人は『良い人』のような行動をとることもあれば、『悪い人』のような行動をとることもあると思うのです。それが全ての人間であり、ほとんどの事象に言えることだろうと思います。

ではなぜ人は『良い人』だと割り切りたくなるのでしょうか。それは、脳が楽をしたいからでしょう。
Aさんは『良い人』Bさんは『悪い人』と決めてしまった方が、それぞれの人と付き合う上で判断が少なくなり、楽になるからだと思うのです。毎回毎回、Aさんと会うたびに「うーん、この人は正しい事を言っているだろうか?」と考えて会話を進めるとキリがなく疲れてしまいます。
それなら「Aさんが言うんだから間違いないだろう。」とした方が楽なのです。考える必要を無くしてコスパ良く生きたい、脳にはそんなクセがあるということを知りながら生活したいものです。

人は結論や言い切り文が好きなので、これは間違いでこっちが正解だよ、と言われると安心し、ほっとして行動に移してしまいがちです。
しかし、全ての問題や事象には良い面、悪い面の両面が存在し、それらはグラデーションになっています。
なので、AかBかと言われたら、ある部分はAだし、ある部分はBなんだよね、という至極つまらない回答になってしまいます。

こういう回答をする人は正直な人で私は好感が持てます。バラエティ性、エンタメ性には欠けますが、誠実であることは間違いない。
一時の盛り上がりよりも、しっかり腰を据えて物事に向き合っている気がします。私もそんな人間でいたいと常々思っています。(一時的だとしても、その場を盛り上げる必要がある人や場面があるということも重々承知しており、それらを否定したい訳ではありません。)

0か100かを決め切る。生きていく上では必要な機能ですが、楽だからとその機能に惑わされないように気をつけたい。
本当に大切だと思う問題に対しては、グラデーションのある答えが出てもかまわない、そう思いながら日々の事象と向き合っていきたいと思います。

ですので、ダンスはスポーツなのかアートなのか?と聞かれれば、ある部分に関してはスポーツだと思うし、ある部分に関してはアートだと思う、という至極つまらない回答をするしかないのです。

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