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誰もが幸福な世界(ショートショート)

【世界】
AIやロボットが発達したことで、人間から労働が取り除かれた。さらに、ロボットの稼いだ給与を国民に分配することで、国民は生きているだけで一定額の収入が得られるようになった。時間とお金が手に入る夢の時代が幕を開けた。このような体制は一朝一夕では成し得ない。総理の努力は国民から讃えられた。
それから半年が経過し、総理は国民のレポートを心待ちにしていた。
「ん、なぜ幸福度が上がっていないのだ」
「はい···」
「このプロジェクトには、私の人生を注ぎ込んだ。多くの人を巻き込んで、時には頭を下げて、ついに実現したんだ。それなのに」
バートは口を噤んだ。総理は怒りを沈めるようにふかふかなソファの周りをぐるぐると歩いた。ひと段落して、そのソファに腰を下ろした。
「バートよ、どう思う」
「先生の功績は素晴らしいものです。間違ってなどいません」
「しかし、幸福度は微増しかしていないではないか」
「国民の負担は減り、生活は楽にはなりましたが、もしかすると、幸福感に直結しない部分があるのかもしれません」
「どういうことだ」
「昔の哲学者がこんな言葉を残しています『人間はあらゆる職業に向いている。向かないのは部屋の中にじっとしていことだけ。』労働というのは無ければいいと思われていましたが、実際には人に生きがいを与えるという大きな役割を担っていたのかもしれません」
「なるほど、このプロジェクトは国民を退屈にしてしまったということか」
「···あくまで私の妄想であり、仮説ですが」
総理は咳払いをした。
「では、退屈になった国民は、いま何をしているのだ」
バートは資料を読む素振りを見せた。つられて総理も資料を見返した。
「この半年で増加しているのは、自己発信のようだな」
「そのようですね」
「自己発信とは具体的に何を指すのだ?」
「自己表現と言ってもいいかもしれません。音楽、美術、スポーツなど、自己で高めていけるものが人気のようです」
「ふむ、ではその方向で幸福度を上げる施策を準備してくれ」
「はい」

【住民】
5年間勤めた会社が終わった。働かなくても充分な支援と給与が手に入ることになった。友人と飲み明かす日々。忙しくて観れていなかった映画を観たり、ゲームをしたり、仕事が忙しくて出来なかったことを、次から次へと試した。だが、2ヶ月を過ぎたあたりから、いくらお酒を呑んでも高揚感が得られなくなった。何も成し遂げていないのに呑むお酒の魅力は薄らいでいった。
SNSで友人が絵画の写真を上げているのを見て思い立った。倉庫に眠るヴァイオリンを引っ張り出して、5年ぶりに弾いてみると、思ったよりも弾けていて嬉しくなった。
1ヶ月後、自分でも納得のいく演奏をSNSにアップした。以前の職場の人からはすごいというコメント、大学時代の友達からは懐かしいというコメント、知らない人からも上手とコメントが届いた。思っていたよりも多くのリアクションが返ってきて嬉しくなった。次はどの曲を演奏しようか考えながら飲むお酒は美味しかった。

【世界】
バートは今日もレポートの説明をしていた。
「想定通り、国民の自己発信量が増加しています」
「ふむ、よくやった。で、これから起こりうる問題はなんだと思う。自分よりも上手いやつの存在とかか?」
「トッププレイヤーが目に入り、自分と比較することもあるでしょうが、能力が離れすぎていると人はそこまで気を落としません。問題なのは、自己成長感の欠乏です」
「つづけてくれ」
「始めた当初というのは、成長がわかりやすいので、のめり込みやすい。しかし、必ず踊り場のような停滞期間がやってきます。階段を永遠に登り続けることはできないのです」
「では逆に、成長が続いてる感覚を持たせることができれば、国民の幸福度は上がりつづけると」
「おそらくは」
「では、その方向で施策を打てるよう準備を進めてくれ」
「はい」

【住民】
ヴァイオリンを再開してから1年、練習と投稿を繰り返した結果、SNSのフォロワーは右肩上がりで伸び続け、リアクションの数も増えている。今では国境を飛び越えてファンだと言ってくれる人が大勢いる。たしかに才能のない僕は一流のプレイヤーにはなれそうもない。しかし、自分の演奏が多くの人に届いているという現実が嬉しかった。小さいかもしれないが、自分の生きた爪痕を世界に残せているような気がして嬉しくなった。

【世界】
「しかし、それは虚像なのです」
バートは一拍置いて口を開けた。
「投稿をすればするほど、フォロワーやリアクションが増えるように設計しました。SNSで繋がったフォロワー一人一人に会いに行って存在を確かめるなんてばかげたこと、誰もしませんから」
「虚像とはそういうことか。実在しないアカウントを作り続けていると」
「はい、このままでは自己発信者は増えて、それを観るものがいなくなってしまいます。それを避けるために、我々は観るものを増やしたのです。熱心なファンを。その結果が今回の幸福度増加に繋がりました」
「バートよ、よくやった。このレポートを世界に発表すれば我が国のアピールに繋がり、国民も増えるだろう」
「はい」

その後、総理は右肩上がりのグラフを見て喜んだ。望み通り他国からたくさんの人間が移住してきたようだった。
「バートよ、もっともっと国民を増やすために新しいプロジェクトを実施しよう。アイディアを持ってきてくれ」
「はい···!」

しかし、総理もまた世界の住民のひとりであり、どれだけ国民が増えようとも、一人一人に会いに行って存在を確かめるなんてばかげたことはしなかった。

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