見出し画像

道頓堀ZAZA、ありがとう!

長いお付き合いになったもんだ!

2024年5月6日に道頓堀ZAZAが閉館となりました。
道頓堀ZAZAがオープンしたのは2010年。
それまで同じビルの4階に劇場があるのは知っていたけど、4階から地下に移転し、初めて内覧に行ったのが2010年の夏頃だったと記憶しています。

そこからの長いお付き合い、お笑いイベントでは「キタイ花ん」や「バトルZAライブ」を中心に利用させて頂きましたが、その辺りの話を書いてみようと思います。

「キタイ花ん」というお笑いライブで使用していた今の「よしもと漫才劇場」の前身の「ワッハホール」が2010年12月で閉館することが決まり、次の開催場所を探していたとこでした。

ちょうど2010年の11月に初めてZAZAPOCKET'Sで怪談ライブを開催し、立地や使い勝手の良さやスタッフさんの親切さもあって「キタイ花ん」もZAZAで開催しようと決め、2011年1月から「キタイ花ん」でZAZAHOUSEを利用させて頂きました。

この頃からのお付き合いとなりました。もう14年経つんですね。

当初いた劇場スタッフさん、今も何名も続けて働いておられるのでZAZAで開催するライブが一番安心出来るというか、劇場のスペックも大事ですが相談できるスタッフさんがいるかどうかも我々制作者には大きなポイントで、実に数々の無茶なお願いや要望を聞いて頂いたからこそ開催できたライブがたくさんあります。

そういう意味では僕にとってハードとソフトが完璧な劇場であったのは間違いありません。ありがとう!

HOUSEで1枚!(撮影:とっさん)
POCKET'Sでも1枚!(撮影:かも)
受付
POCKET'S楽屋
POCKET'S下手袖
POCKET'S下手から舞台を

ZAZAHOUSEの動員数記録保持!

2011年3月31日に「第100回キタイ花ん」を開催しまして、記念大会ということもあり、気合を入れて制作しました。

この頃、今のようにTIGETのような予約システムもなかったので芸人さんの手売りとホームページからの予約が主な情報源で、集客数が読めないながらも、大体の人数を勘で予想するという匠な技を身につけていました。

この「第100回キタイ花ん」は200名ほどの動員数と予想したので、キャパ最大150席のHOUSEでは狭くなってしまうので、どうしたものかと、あれやこれや前述の”無茶な相談”をさせて頂き、客席前方に畳を敷いて座敷席にして、通常設置の椅子では幅を取るので、少し小ぶりなパイプ椅子を座敷席の後方に配置し、サブステージも客席にし、残りのスペースを立見席にして何とか200人は入れる計算で当日を迎えました。

当日!今でもはっきり覚えていますが、225名のお客さんに来場して頂き、ライブを楽しんでもらいました。

この225名は、ZAZAHOUSEの公演で最もお客さんを入れた公演として正式なものではないかもですが、「記録」としてZAZAのスタッフさんに伺っております。

ちなみにこの日出演した芸人さんの一覧。(香盤順)
記念大会なので昼過ぎから夜にかけての特別公演だったので組数が普段の倍でしたね。なので隣のZAZAPOCKET'Sも楽屋にしてました。

MC:ウルフ(現:浜辺のウルフ)
すいっちひった~
ルックブック
ハブシセン
ゆうきたけし
Mr.マイク
にわとりヘッド
ブランチ
ローズヒップファニーファニー
クラッシャースミダ

ドローウィング
インディアンス
花鳥風月
ザ・キングス
スティーブンガットイーブン
山西竜矢
ピアニカ
デルマパンゲ
スーパーボール
タートルデッパ
らんちきハイツ
フキノタイタン
左右ズ
サンドロップ
ザ・ストーンティーズ
たたみおばけ
ナカノアンドデンジャラース
びわこメロディ
トロピカルクラッカーズマーメイド
レイコートウラノ
松本時代
八田荘
ジェットゥーゾ
キタク
キャサリン
スクランブルハネムーン
ツインゴリラ
ポルノホルン
どんぐり兄弟
みなみのしま
おふらんす
ベンガルトラ
十手リンジン
ジャム
お湯
矢野号
ジョックロック
ツートライブ
にほんしゅ
ジョニーレオポン
パニーニ
Dr.ハインリッヒ
亜修羅
ハンチング
アインシュタイン

優勝はNSC25期生のトリオ、「スーパーボール」でした!
コンビ組み換えも合わせると半分ほどの芸人さんが今も活動されています。あ、「ジョックロック」は2024年現在吉本で活動している「ジョックロック」さんではなく確かNSC31期生の顔面汗まみれで漫才するコンビだったと思います。

225名、今なら消防法だなんだと難しいのでしょうが、当時ももちろん消防法はありましたが、そんなの無視でどこの劇場でも入れるだけ入れていたおおらかな時代です。

この後、ZAZAHOUSEの150席では手狭になってきたのもあり今でも語り継がれる梅田のamHALLへ場所を移すことになるのですが、ZAZAで得た経験は今でも僕の中で礎になっているのは間違いございません。ありがとう!


バトルZAライブの誕生

そんなZAZAとのお付き合いの中、ある日ZAZAを運営するバイタルアートボックスのY社長から電話がかかってきます。

ZAZAPOCKET'Sの稼働がイマイチ良くないので、何かできないか?
という電話でした。吉本興業さんがZAZAを利用し始める前だったので、利用者が少なかったのですね。

お世話になっているY社長のお願いだ、何か出来まいか、1週間ほど家にこもってぎゅーっとなってライブの企画を考えて考えて過ごしていたのですが、そこで産まれたのが「バトルZAライブ」の企画案でした。

当時はインディーズライブは毎日どこかで開催されていましたが、主催者のほとんどは芸人さんか作家さんで、それらのライブに出たいと思っても、その主催者と関係性がないと出演出来ませんでした。

ということで、そういった関係性がなくともエントリーメール1通でいつでも誰でも出れてネタを鍛錬できるライブが必要だろう、ネタ時間は2分だ。

この頃は週1で行われていた吉本のオーディションライブもネタ時間2分、M-1予選も2分だったのもあり、手軽に合格を目指す為のネタを試せる場が上記の理由で少なかったんですね。

またダウンタウンさんの番組を数々手掛けていた放送作家「かわら長介」さんの放送作家養成講座の運営もしていたので、そこの塾生、要は暇を持て余す若手の構成作家が周りにたくさん居たこと、オーディションライブもM-1も作家審査だったので、まだ新人ではあるけども作家目線で順位を決め終演後は意見を交換できる時間を設ける事で、試せてネタの話も出来て筋力アップに繋がるだろうという思惑です。

ダメ出しという上からなニュアンスでなく、作家と芸人、お互いにフラットな関係性でどうすればもっと面白いネタになるだろうか、そんな事をあれやこれや話できる空間にしようと作家さんにはお願いし、お客様にはそんな場所から這い上がる姿を見届けて欲しいと、需要があるかどうか分からないけど、ひとまずやってみようと2012年の1月より12組の出演者でスタートさせました。
↓2012年1月の出演者
https://ameblo.jp/soukai7/entry-11133739353.html

ちなみに当初はZAZAとの共催ということで、バトルZAライブのZAはZAZAのZAであります。エントリーの受付もZAZAの事務所でやってましたよね。

お客さんもスタート当初は少なくて、僕や作家で道頓堀ZAZAお馴染みのピンクの法被を着て呼び込みしてました。下手だったのかあまり入ってもらえませんでしたねぇ。

今思えば芸人さんに呼び込み手伝ってもらえば良かったのですが、当時は売れていないとは言え、芸人は舞台に立って笑いを取ることが本分でありその芸人さんに呼び込みさせることに強い強い抵抗があったのです。

さぁそこから12年。紆余曲折ありまくり。

後には、参加していた経験値のない新人構成作家もオーディションライブやM-1、キングオブコントの予選審査をやり、テレビの構成をやり、また出演してくれていた当時は無名新人芸人さんも今ではたくさんたくさん活躍されています。共に階段登ってる感じですね。僕は階段の踊り場にずっといますがね。

ライブとしても場所を変えながら600回ほどは開催していると思います。そしてライブの構成も12年ブレておりません。

1週間こもって考えた企画案をほぼほぼ変えずに今に至っています。

それだけ芸人の卵たちにとっては必要なライブだったのだろうと、時間と回数と今活躍している人たちが証明してくれたと思います。出演してくれた芸人さん、関わってくれた作家やスタッフさん、見に来てくれたお客様、ありがとう!


その他にも色々なお笑いライブを開催させて頂きました!

他にも色々なお笑いライブを開催させて頂きましたね。
単発の小さいライブもたくさん開催しましたし、その中で想い出深いのはこちらも2011年からZAZAと共催で1年ほど開催した「CONGEKI」というライブ。

世間的には無名の芸人さんのお笑いライブで300名の動員を目指していたのですが、200名ほどが天井でなかなか増えていかない、これは裾野を広げないといけない!なんて急に思いたち、ZAZAさんに持ち込んだライブでした。

この「CONGEKI」というライブは、芸人が作る「コント」と劇団が作る「コント」を競わせようがコンセプトで、要はお笑いのお客さんと演劇のお客さんが合わさることで、互いに観客の新規開拓が出来るのではないか?300名目指せるのではないか?を検証するために企画したライブでした。

演劇界も当時は「ヨーロッパ企画」「デス電所」「劇団赤鬼」くらいしか新進気鋭とされる劇団の名前を聞かなかったので、これは若手演劇界にもちょっとした刺激が必要だろうと傲慢かつ自分勝手に思い込み、様々な劇団さんとアポを取って、メールでのやり取りや直接出向いてお話させて頂きました。

劇団内でコントユニットを立ち上げネタを作ってもらい、芸人のコントとのバトルをしましょうと持ちかけたのですが驚くほど反応が悪く、どこかお笑い芸人のやるコントを認めていないという雰囲気を強く感じたのでした。

その当時僕も好きだった演劇ユニットの「転球劇場」のような人たちがたくさん生まれて切磋琢磨して、「芸人のお笑いと演劇のお笑いの融合できる場所を作りましょう!」「キングオブコントの決勝に関西演劇界から出しましょう!」「互いに新たなファンを獲得しましょう!」と鼻息荒く協力を呼びかけたのですが、ほとんど反応はありませんでした。

とても閉塞的な人たちが多い印象です。要は自分たちが主軸でやりたいから旗揚げしている訳で、よく分からん男のよく分からんライブ企画など聞き入れてもらえなかったのですね。

根本の企画が頓挫している最中に第1回目を迎えました。確か1組だけ演劇のユニットが出演してくれたと記憶しています。何十人とお話した人たちにも招待券をお送りしたのですが誰一人来ず……。

第1回目はMCに「バイク川崎バイク」さん、20組ほどの出演者の中に「さらば青春の光」さんがいたお陰かZAZAHOUSEは満席で大変盛り上がりました。もちろん優勝は「さらば青春の光」さん!

たまにYouTubeなどで、さらば森田さんが「訳わからんコントの大会で優勝して賞金10万貰った!その時にBKBさんと出会った!」と、お話されていますが実はこのライブなんです。しかも賞金は10万円でなく3万円だったのですが、この時の3万円はさらばのお二人、お金が無かった時期でしょうし体感10万円くらいに感じたのではなかろうかと思っています。

結局、演劇からの出演者が増えることなく、芸人のコントバトルになってしまったので、続ける意義を失ったのもあり、1年ほどでやめてしまいました。
僕が心配することではないけど、かつて活発だった関西演劇界がどことなく静かに感じるのは残念でならないです。もちろん全ての劇団がコメディ、お笑いをしたい訳じゃないだろうけど劇団名義でキングオブコントの決勝に出てくる人たちが現れれば良いなぁと今でも思っています。

東京には「ダウ90000」みたいなグループが現れているので、関西でも「あの劇団オモロイ!」という噂が流れてきて欲しいですよね。僕が勉強不足なら申し訳ございません!

写真が無い!!

ZAZAで開催した「キタイ花ん」やその他のイベント含めて、写真が残って無い!
今より手軽に写真を撮れなかったのもあるのかな、PCを変えて変えてしている内に消えてしまったのでしょうか。

その後の「心斎橋OPAイベントホール」「トリイホール」「梅田amHALL」のは何枚かは残ってるんですよね。これはいつかnoteで紹介出来ればと思います。

ありがとう!

道頓堀ZAZAと出会うまでは、真剣ではあったけど本腰でライブ制作はしてなかったのですが、以降はここで得た経験や知見と出会いを燃料にして、これまで何とか地を這うようにですがやってこれました。

色んな思いはあるし色んな言葉も浮かぶけど最後に一言。
道頓堀ZAZAありがとう!


優しい人、1文字0.1円のカンパよろしく!

ここから先は

0字

¥ 530

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?