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境界を越えて共に生きれる時代を

  NPO法人Welgeeの渡部カンコロンゴ清花さんの講演会、また渡部さんのご両親が営まれている、子供達の居場所づくりのNPO法人ゆめ・まち・ねっとに遊びに行く機会がありました。Welgeeは日本にやってきた難民の人たちの就労に、伴走することを中核として事業を行っているNPOです。自分が滞在する間に二回講演会があり「人権」と「人と人との境界を溶かす」という2つのテーマで語られました。

人権についての講演会では、女性のことや、身体や心に障害を持つ人、その人たちにかかわりのある人など、当事者や人権に携わる多様な人達がおり、登壇者、参加者で交流しつつ会は進みました。人権というものを、人よりも差し迫って意識している人が多く、人権は人間が呼吸することや、食べたりすること「生きることそのもの」だという意見もでました。

講演会の中で一番印象に残ったことは、難民の人たちは、足場を失っているということでした。ハンナ・アーレントの言う「諸権利の権利」が失われている状態。一つ一つの数えられる人権が失われているのではなく、そもそも人権や権利の基盤となる国家などの共同体がない、その人たちの権利について他の誰にも気をかけてもらえない人たちが、この世界には存在してしまっています。まさに「生きることそのもの」の足場、を失ってしまった状態です。それが難民の人達です。

難民の人は国をなくした人達だけではなく、国家から守ってもらえない、もしくは国家から迫害されるような状況にある人達もおり、経てきた歴史や直面する問題は様々です。日本の場合は、ほかの国と陸続きではないため、ほとんどの難民認定申請者が航空券を購入して日本へとやってくるとのこと。

国家や民族という足場を失いつつも、移動する力は失っておらず、むしろ実業家や一定の地位や財産を得ており、かつ社会の不条理を変えたい、という情熱を持っていた人たちが来ることも少なくないそうです。

しかし、そのような人たちが難民に認定されて在留資格を得て、日本へととどまろうとすることは難しく、昨年は約一万人に対して四十人の人だけが認められました。誰もが、難民となりたくて日本に来たのではなく、それぞれが夢や希望を叶えるための途上として、日本に逃れてきたにも関わらずに、難民認定も降りずに、力を発揮する場もなく、無為な日常を過ごすことになるのです。

Welgeeは、難民というレッテルの奥にあるその人の持つ個性や夢に向き合い、就労を支援しているとのこと。働くことの支援を通じて、人と人との間にある境界、つまり人種や能力、置かれている状況に関わらずに、共に未来の築くことのできる社会を目指しているのだと、講演されました。

講演の後、渡部さんのご両親が運営されている、NPO法人ゆめ・まち・ねっとのたごっこパークを、訪れさせていただきました。ここでは、子供たちの居場所を作っていました。プログラムはなく料金を一切取らず、いつ来てもいいし、いつ帰ってもいいという場所です。

時間通りに始まって、やることが決まっているようなプログラムに、なじめない子や、お金がかかることで、参加のハードルが上がってしまうような子と出会えるということでした。

お二人の役割は、駄菓子屋としてその場にいて、焚火にあたり、話しかけてくる子たちの相手をしています。サービスやケアを提供する側と、受ける側との境界を取り払った形で、場が作られているため、ルールや競争にさらされる社会で生きることが困難な子供たち、様々な形で拠り所を失ってしまった人がそこを訪れ、人によってはそこでの時間を、自分の足場として生きようとしているように感じられました。

人権の喪失について、ハンナ・アーレントの言葉を改めてとりあげると「この足場こそ人間の意見が重みを持ち、その行為が意味を持つための条件をなしている¹」と述べており、一見足場があるように思える日本の暮らしの中でも、自分の意見が重みを持ち、行為が意味をもつのだという、確かなものを築くことが困難な人も日本にはいます。

この場と出会い、友人に頼まれて中学校に行くことが困難になった男の子と、長野のゲストハウスに行った時のことを思い出しました。中学や家庭しか知らないその子が、多様な人がいる場で何かを見つけてくれるのではないかと思ったのです。

そのゲストハウスには、本当に多様な人がいて、大学を卒業してゲストハウスで働いている人や、近所の社会人、海外からのゲストに、日本語教師だったゲストハウスのオーナー、近くで働くベトナムの人も、日本語を教わりにきましたと言って入ってきて、料理を作ったり、ボードゲームをして時間を過ごしました。

その後、その子から連絡が来ます。文化を超えて伝わるのは音楽と料理だと感じ、今は高校に進学して吹奏楽をやっていると連絡が来ました。彼は学校に居場所を失ってしまいましたが、ゲストハウスでのこの経験を足場にして、立ち上がってくれたように思います。

その子と共有した経験は、人と人とがあらゆる境界を超えて、お互いの足場を築きあえる社会を、自分たちの手で作れるのだという経験です。そしてそれが、この日のたごっこパークの光景と重なりました。

この日、Welgeeのスタッフや、一人の難民の人、Sさんも一緒に来ていて共に過ごしました。Sさんと一緒に料理を作ったり、自分も無力感に飲まれていた経験を分かち合ったり、抜き差しならないその状況からくる問いに、友人が真剣な言葉で向き合う時間を共にします。

子供たちと全力で遊んだりしているうちに、東京にいるときには、笑うことすら想像できなかったSさんが、同じく困難な状況にいる日本の子と、一緒に笑い転げているような光景もありました。根本のその問題は解決しなくとも、生きる希望を根こそぎ奪う事なく、人と人の間で人間として生き返る様子をありありと見ました。

自分自身も、国際協力の大学院を一度志すものの挫折した経験がありました。また自然と人との関わりに惹かれ、不安定な生き方をしていることに対して、周囲の人や特に両親に対して、常に引け目を感じて生きていたのだと思います。

そのためこの日々は、今までどこかで失われてしまっていた自分が引き出されるような経験であり、それこそ自分自身の意見が重みを持ち、行為が意味を持つ感覚でした。講演会に来てくれた自分の父親と、Sさんと三人で食事をしているときに、感情が溢れ思わず号泣してしまいます。

その時に「人は一人では生きていけないんだ」と、Sさんが、とつとつと語ってくれました。笑顔を見せず、友達がいない、自分には友達が作れないんだと悲壮に語っていた、その人から出た言葉だとは、思えないような力強く暖かい言葉でした。どちらが支える側で支援する側、難民、日本人などの境界が解け、そこには人間としての関係性だけがあるように感じられました。

困難な時代や、環境、制度は時として、人間の意見が重みを持ち、行為が意味があるということを、難民であるかどうか関わりなく、根こそぎ奪っていきます。しかし、私たちが人間である以上、状況や環境や境界に引き裂かれようとも、誰かの足場を作る力を持ち、またそこから良き社会を築きえるという、自信と希望を与えられる経験でした。

さやかさんの講演の内容や、話していることの一部を取りあげましたが、いろいろなところで記事になっているので、もし深く知りたい方は下記のリンクを参考にしてください。
TED浜松
Presidentオンライン
WIRED


¹ハンナ・アーレント『全体主義の起源2帝国主義[新版]』大島通義・大島かおり訳 みすず書房

NPO法人Welgee

https://www.welgee.jp/

NPO法人ゆめ・まち・ねっと

http://yumemachinet.web.fc2.com/

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