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音楽と戦争➃ ベートーヴェンの戦争交響曲

実は、ベートーヴェンには軍歌の他に「戦争交響曲」と呼ばれる、ずばり戦争を描いた管弦楽作品があります。それは、「ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い」作品91(Op.91、原題: Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria, op. 91)と呼ばれるものです。戦争交響曲とはいうものの交響曲ではなく、交響詩といった感じの作品です。
作曲の背景は、音楽と戦争➂ ベートーヴェンの軍歌軍歌のところの続きで、ナポレオン戦争です。最初、ベートーヴェンはナポレオンを尊敬していました。 しかし、ナポレオンがエンペラーに就任するとナポレオンに対して失望し、彼に献呈しようと検定していた交響曲第3番「エロイカ」の最初のページから献呈者ナポレオンの名前を乱暴に消したエピソードは有名です。
作曲の直接の切っ掛けは1813年6月21日、スペインのビトリアの戦いで初代ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリーが指揮するイギリス。スペイン・ポルトガル連合軍とフランス軍の戦いです。結局、イギリス連合軍が勝利し、ヨーロッパでのフランスの敗退が決定的となり、翌年の会議は踊るウィーン会議に繋がります。
そのウェリントン侯を讃える曲としてベートーヴェンが作曲した作品です。最初はオーケストラ曲としてではなく、自動音楽演奏装置パンハルモニコンのための曲として作曲されました。パンハルモニコンとは、当時の軍楽隊のさまざまな楽器の音色を出せる自動演奏楽器であり、メトロノームの発明者として有名なヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した自動演奏装置です。メルツェルとベートーヴェンは知り合いで、ベートーヴェンの作品にメトロノーム記号が書かれるようになったのもメルツェルが積極的にベートーヴェンに働きかけたからです。そんなメルツェルがベートーヴェンに目をつけて作曲を依頼したのがこの作品 まあ商魂たくましいといったところです。結局、ベートーヴェンは管弦楽曲として発表したので、後々、メルツェルと作品の著作権をめぐって裁判になったりしています。 ベートーヴェンが作曲したことは間違いないので裁判はベートーヴェンの勝利に終わってます。
具体的な作曲は、1813年の8月から9月とされていくす。10月には完成していたようです
作品は、2部構成で、前半はビトリアの戦いを再現したもので、左右からそれぞれの行進ドラムと進軍ラッパに続いてイギリス軍を表す「ルール・ブリタニア」とフランス軍を表すフランス民謡「マールボロ将軍は戦争に行く(マールボロ行進曲)」"Malbrough s'en va-t-en guerre"が演奏されます。同時に銃の音が派手に鳴らされ戦闘が描写されます。録音では本音のライフル銃(空砲)の音が収録されたりし、ド派手に演奏されることも多いです。
最後はフランス軍が撤退していく様子が描写されます(短調でマールボロ行進曲が演奏されます)。その後はイギリス軍の勝利を描写するドラマティックな部分になり、べートーヴェンのシンフォニーと同じような力強く劇的なフィナーレになっています。
初演は大成功し、熱狂的な人気を博していた作品です。1813年12月8日ウィーンにて、ベートーヴェン自身の指揮で初演。戦争で負傷した兵士のためのチャリティー・コンサートでもあり、当時の著名な音楽家であるフンメル、シュポーア、モシェレス、サリエリらも演奏に参加したという記録があります。ちなみに、同じ演奏会では、のだめカンタービレで有名になった交響曲第7番も初演されています。
この作品は、積極的に政治プロパガンダに利用された訳でもなく、ベートーヴェンも自分の立場を表明するメッセージのようなものは込めず、メルツェルの商魂に乗ったかたちで創作したものです。ベートーヴェンは、どちらかというと人類の平和や平等ということを考え、創作していた作曲家です。だからこそ、フランス革命に共感し、当初はナポレオンに共感していた。だからこそ、ナポレオンがエンペラーとして専制者の道を歩み始めた時は失望している。普通に考えると、反戦の音楽を書くのではないかというところ、イギリスと連合軍の勝利を賛美するような音楽を書いたという点はいろいろと考えさせられます。


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