宗巌

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宗巌

クラシック系の音楽関係と日本語教育の二足の草鞋を履いています。紀尾井町サロンホール https://kioichosalonhall.com/

最近の記事

音楽と戦争⑤政治プロパガンダに利用された戦争交響曲

実は、ロシアには、序曲「1812」年より歴史的に近い第二次大戦に関係する戦争関係の音楽があります。それは、ショスタコーヴィチの交響曲第7番ハ長調Op.60、通称「レニングラード」と呼ばれる大曲です。 交響曲第7番は、第2次大戦でも有名な戦いの一つであるナチス・ドイツによるレニングラード包囲戦(1941年9月8日 - 1944年1月18日)と重なる時期に作曲・完成された作品。当時、ショスターヴィッチはレニングラードに滞在しており、1941年9月17日、ショスタコーヴィチはレニン

    • 音楽と戦争➃ ベートーヴェンの戦争交響曲

      実は、ベートーヴェンには軍歌の他に「戦争交響曲」と呼ばれる、ずばり戦争を描いた管弦楽作品があります。それは、「ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い」作品91(Op.91、原題: Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria, op. 91)と呼ばれるものです。戦争交響曲とはいうものの交響曲ではなく、交響詩といった感じの作品です。 作曲の背景は、音楽と戦争➂ ベートーヴェンの軍歌軍歌のところの続きで、ナポレオン戦争です。最初、

      • 音楽と戦争➂ ベートーヴェンの軍歌

        音楽と戦争②では「ラ・マルセイエーズ」が元は軍歌だったという話をしましたが、かのベートーヴェンも軍歌を書いてます。ベートーヴェンは1792年に故郷ボンからウィーンへ出てきています。1792年と言えば「ラ・マルセイエーズ」が作曲された年です。ちなみにモーツァルトは前年の1791年に亡くなっています。ベートーヴェンは、フランス革命に端を発した激動の時代に生きていたと言えます。 ベートーヴェンが作曲したのは「オーストリア戦闘の歌」(Kriegslied der Österreich

        • 音楽と戦争② ラ・マルセイエーズ

          チャイコフスキーの序曲「1812年」に引用されている『ラ・マルセイエーズ』( La Marseillaise)は、フランスの国歌として知られてます。一般的には、フランス革命の際の革命歌という認識され、自由・平等・博愛を象徴するフランスの三色旗とペアでイメージされてますが、歌詞は過激です。第1番の歌詞をwikiから引用してみます。 行こう 祖国の子らよ 栄光の日が来た! 我らに向かって 暴君の 血まみれの旗が 掲げられた 血まみれの旗が 掲げられた 聞こえるか 戦場の 残忍な敵

        音楽と戦争⑤政治プロパガンダに利用された戦争交響曲

          音楽と戦争①

          現在、2月下旬に開始されたロシアによるウクライナ侵攻が音楽界にも多大に影響をもたらしている。 ここで音楽と戦争、主に戦争がきっかけで生まれた音楽について書いていきたい。 例えば、ロシアの指揮者ゲルギエフは、プーチン支持者として知られ、今回の侵攻後は沈黙を貫いてる。結果として、ウィーン・フィルのコンサートがキャンセルされ、メトロポリタン歌劇場の公演もキャンセルされた。最終的には、主席指揮者を務めているミュンヘン・フィルの職も解任された。その結果、ゲルギエフは、ロシア以外では指

          音楽と戦争①