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音楽と戦争➂ ベートーヴェンの軍歌


音楽と戦争②では「ラ・マルセイエーズ」が元は軍歌だったという話をしましたが、かのベートーヴェンも軍歌を書いてます。ベートーヴェンは1792年に故郷ボンからウィーンへ出てきています。1792年と言えば「ラ・マルセイエーズ」が作曲された年です。ちなみにモーツァルトは前年の1791年に亡くなっています。ベートーヴェンは、フランス革命に端を発した激動の時代に生きていたと言えます。
ベートーヴェンが作曲したのは「オーストリア戦闘の歌」(Kriegslied der Österreicher) WoO. 122というもの。作曲は1797年で、前年からナポレオン軍がハプスブルク帝国内に進軍してきて、ハプスブルク側も応戦のために軍隊を徴集、その中のフリーデルベルク少尉という軍人が作詞した詩に付曲した歌です。2/2拍子ハ長調の単純な歌で行進しながら素人でも歌いやすものです。合唱によるリフレインなどもあって歌詞も音楽も軍歌らしい勇ましい作品です。ベートーヴェンには、もう1曲、「ウィーン市民への別れの歌(Abschiedsgesang an Wiens Bürger) WoO. 121とい作品もあります。これは1796年の作曲です。やはりフリーデルベルク少尉の作詞です。こちらは「別れの歌」とありますが、実質的には軍歌です。音楽的には、「オーストリア戦闘の歌」と同じで、シンプルなものです。こちらは4/4拍子ト長調で後奏に行進の太鼓の描写があったりと工夫がある。
ところで、この2曲はフランスとの戦争に出る兵士のための曲なのだが、ベートーヴェンはナポレオン支持者として知られています。当時のフランス軍はナポレオン軍なので矛盾します。ただ、1796年-97年の段階では、ヘートーヴェンはまだ作曲家としてというより鍵盤楽器奏者として有名になったばかりで、作曲家としては知られていなかったのです。そのため何でも作曲して作品を公にしたいという気持ちの方が上回ったと考えられます。YOUTUBEにたくさんサンプルがあるので興味のある方はぜひ聴いて見てください。

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