病室のオレンジ

【ご注意】
この記事では、
「メンタルヘルス」「命」「閉鎖病棟」等に関係する話題を扱っています。
閲覧やご紹介等される際にはご注意下さい。


気にかけてくださり、ありがとうございます。

何年も前の事です。
人間関係、仕事、勉強、健康状態、その他のことがうまくいかなかった結果です。
小さな「うまくいかない」は、砂のように雪のように、心の周りに積み重なってしまいました。
眠れない頭は暴走して、「うまくいかない」は「きえてしまいたい」に変質。
段々と実行に移す事を考えたり、調べるようになりました。
そして、決行に移したのです。

命を消す条件を満たしきれず、入院となりました。

怪我もしてしまったため、ベッドに横たわっていました。命を落としきれなかった自分は、まるでゾンビのようだと感じました。
四人でひとつの病室。窓際のベッドが私の場所。
命に別状はありませんでしたが、毎朝目が醒めた時は
「ああ!生きてしまっている!辛い!」と嘆き悲しんでいました。

ゆっくり休むために入院したはずですが、何となく焦りがありました。
「心細い、誰かに助けてほしい」
「命を粗末にするという罪を犯した自分は極悪人」
「これからどうすればいいんだろう」

会うお医者さん達が「次はこんな事しないようにね、約束しようね」と声をかけてくれます。話し掛けてくれて嬉しい!恥ずかしながら、自ら命を消しかけた心はまだまだ消耗していて、何だか子供返りしていたように思います。
しかし、狡賢く頭を働かせてしまう大人の自分もいました。「約束」に心を躍らせながら、「そんな事言ったってずっと見ていてくれる訳でもないじゃないか」と揚げ足を取り、「言った通りそばにいてよ」なんて、無茶な要求を思い浮かべてしまうのです。そしてまた、「医療関係者さんも忙しいんだから迷惑をかけちゃいけない」と、自分を律してしまいます。
頭が忙しかったです。今となって落ち着いてみると、きっと突然不安定な患者さんと関わるのは大変ですよね。
声をかけてくださった皆様に、幸せがありますようにと願うばかりです。

さて、ゾンビになる前から、私はあまり食に興味が強くはありませんでした。つらい時にはおいしいものを食べる、元気な時には節約したり、期間限定メニューにつられて、怒ったらやけ食いもする。
病棟では健康のため、食器を下げるとすぐにどれだけ食べられたかをチェックしていただく時間がありました。お皿の蓋を開けて残量を確認される、何故だか毎回小さなショックでした。患者の治療のための大切な指針と分かっているのに。
ささやかな抵抗として、買物の時間に売店でふりかけやチョコを買ったり頼んだりして。ゾンビはゾンビなりに、楽しくなるように工夫していました。

ある日、診察にいらした主治医の先生が、祝福の言葉をくださいました。その日は、私の誕生日の一日前でした。
そして少し申し訳なさそうに、それでも、こちらに向かって一歩踏み出すように言いました。

「私にできることは、食事を作る人達にお願いして、フルーツを増やしてあげることくらいですが…」

誕生日の朝になりました。素直には喜べませんでした。
本当は、迎えるつもりではなかった日。
命をなげうった自分にバースデーがきたという事実を、ただぼんやり、薄目で、逃げ腰で、享受していました。

そういえば、フルーツはどうなるんだろう。誕生日だから増やすなんて、そんな裏技ができるのか。
鍵のかかった病棟≒仮住まいすらも日常となりかけていた中、「今日だけはメニューが自分専用になる」は、けっこうな非日常でした。

そして朝食。
いつもの食事と一緒に、くし切りにされたオレンジが、皿の上できらきらと輝いていました。
他にもメロンと、バナナか何かが一緒に盛ってあったような気がします。しかし、一際鮮烈に光を放って、スポットライトよろしく太陽を浴びて。
窓際のベッドを照らしていたのは、一見どこにでもあるようなオレンジでした。
オレンジは「約束しようね」は言いません。甘ずっぱい香り、みずみずしい色合い。静かな食器の上に佇み、心強く燃えるようでした。
「信仰」という単語さえ、心に灯りました。
しばし、見つめていました。
そして、ゆっくりと両手で持って、皮に手をかけて、いただきました。

残念ながら現実は、オレンジの力ひとつで全てが好転するわけではありません。
後日また少し調子を崩した私は、突如病室でさめざめと悲しくなってしまい、手帳のメモ欄に向かって何故だか遺書を書いていました。
身近な人一人一人に、ごめんなさい、ありがとう、嬉しかったです、お元気で……そんな言葉を無味乾燥に並べていました。
ひとりめ、ふたりめ、さんにんめ……。しかし、小さな変化が起きました。
ペンを走らせていた右腕に、次第に、「正しく血が通っていく」感覚が生まれたのです。
「我に返る」という言葉がぴったりでしょう。
視界と心が、窓からの景色が、少しづつクリアになっていきます。
鮮やかに。
まるで、みずみずしい果実のように。
あれ、わたしだ。
私だ。
ここにいるのが、わたしだ。
自分だったんだなあ。
手帳のページをちぎり、ベッドの下のゴミ箱に捨てて、私はひとりでびっくりしていました。
そうして、大きな衝動は眠りにつきました。
なぜだか色々なものが、自分を優しく見守ってくれているようでした。
そして何ヶ月か仮住まいに滞在した後、私は退院しました。

私を見守ってくれていたまなざしの中には、きっとあの柑橘も含まれていたのでしょう。
今でも私はゾンビです。生きるのが楽しいとか、生きた方が楽しいとか、軽くは言えません。
しかし幸運なことに、ひとつお守りが出来ました。家の中で、人混みの中で。ひとりの世界がぼうっと暗くなりそうな時は、あの鮮やかさを思い出すようにしています。

ゾンビの私にも心臓があるとしたら、きっとあの日のオレンジでしょう。

お気に召しましたら是非お願いします! 美味しい飲み物など購入して、また執筆したいと思います ( ˙︶˙ )