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D-DAY the movie 考えすぎ回想

さっき別のnoteを書きながら思ったので
改めてこちらに書いてみる。


ミン・ユンギの自己表現について。
今回のソロツアーは兵役前にアミにくれた最大のプレゼントであり、
彼の自己表現を満たす最大の仕事だったと思う。
それを証拠に最終日、白い扉の前にいた彼の表情は、やりきって素の表情だったと思った。
他のアミも言っているように、「抱えている荷物を下ろした」ような、「憑き物が取れた」ような。


さっき書いていたnoteに自分で思ったことを書きながらユンギについて思ったことは、
アミに対して自分の負の感情や自分の弱さ、チャーミングな部分を全部さらけ出したら、その部分も受け入れてもらい、本当にありのままの人間になれたんだと思う。だからあのドアの前での表情になったのかと。
彼が捉えていた自己像と、周りからこう見られなきゃ、こう見られているであろうという理想の自己像とのギャップが無くなり、本当に本来の素の自分をさらけ出せたんだなぁ、と思った。
これが「解禁」なんだね〜わーすごいな。合点がいく。
台本があるとしたらすんごい展開(アタシの勝手な解釈なのに)


なんだか子どもの発達と同じかな、と思った。(怒ったらゴメン、ユンギ)
ストレートに甘えられなかった子が周りの人に試し行動をして、受け入れられることで自己のアイデンティティを獲得し、自我を形成して自信を持って生きていけるようになる、自己肯定できるようになるのと同じ流れだな、と。
試し行動をしなきゃならない子って、幼少期に「どんな姿も受け入れられた経験があるかどうか」によると思う。
それは人的環境が「ありのままのその子を受け入れなかった」のか、その子の気質(思い込み)により「ちゃんとしてなきゃいけなかった」のか、による。
あーでも後者は子どもが「ちゃんとしてなきゃ」と思い込まなきゃいけなかった環境があるだろうから、やっぱり環境によるかな。そしてこの思い込みは後々自分を縛る本当の呪いになる。

自分を出す、表現する方法が音楽で
ラップという音楽のツールを通して聴衆を煽り、同業を罵り(試し行動)、
音楽がセールスを売上、ライブにファンが集まり人気が出て、
受け入れられることで徐々にストレートな甘え方(弱い部分、かわいらしい部分)を表出しながら、
「これでいいんだ」と自己を形成しながら、最後は自己肯定に辿り着いた。


んー彼を通して人の変化を教えてもらったなぁ。
やりたいことの決意とその実行、覚悟を決める様。
それがまた推しがやっているからワタシにビシビシと伝わり体の中に入ってくる。


とにかく、ミン・ユンギはかっこよかった、ってことには変わりない〜
アタシが今、
人生のモラトリアムみたいになっていて、自己解釈がゴリゴリに変わってきた最中にこのライブと映画に出会いこの解釈をした流れがタイミング良すぎです。
なんなんユンギ。ますます沼るがな〜。ヤメテ♡
と、自分に都合いいように拡大解釈するぜ。

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