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戰蹟の栞(118)

福建(フウ・キェン)省(1)

〔福建省概説〕
 福建省は臺灣海峡の一衣帶水を隔てゝ、我が臺灣に對してゐる。同じ支那でありながら南蠻鴃舌の國と見られ、言語が著しく異なり、同じ省内でも福州語、厦門語といふ風に差異の甚しきは驚く可きものがある。支那人は大體海岸傳ひに南方に行くにつれ、性格態度共に激烈になってゐるが、福建人も亦廣東人と略同様の激しさを持ち、その言語の上にもこれが感じられる。而も同省は、殆ど山地で平野は閩江流域を始め、諸河川流域地帶に僅に有るのみで、全省交通極めて不便であり、海岸と流域を舟で交通する外、大都市附近の道路を除いては、小徑を歩行せねばならない地である。今日では省内自動車道路の建設も進み、鐵道計畫も建てられたが、自動車道路は、僅に福州以南の海岸線一帶、厦門の奥地より廣東省境、江西省境への粗雜なものと、閩江流域諸地方より浙江、江西省境方面のものが稍々整って來た程度であり、鐵道に至っては、厦門、漳州間を繋ぐ鐵道があるのみで、福州を基點とする閩江流域の鐵道計畫があるとはいへ、まだ調査も充分でない。之を見ても如何に福建が國民政府から顧みられてなかったかがわかる。古の福建が南蠻鴃舌の地とされたのは不思議ではないのである。
 ではあるが、同省は海岸の屈曲多く、風光明媚で、日本と同じやうに松の木の典雅な海岸風景は到る處に展開する。支那で一番穢い街とされて來た厦門の對岸鼓浪嶼に見る風光は、瀬戸内海を思はすものがある位である。省民は屈曲ある海岸線と共に漁業に秀で、船乘り多く、支那海軍は福建人を主流となして來たし、海賊の多いことも有名である。現國民政府海軍部長陳紹寛、久しく海軍部政務次長をしてゐた陳季良も福建の出身である。支那海軍は系統的に廣東・福建・東北の三つに分かたれるが、このうち福建は國府海軍の根本であり主流をなして來たのである。福建に海軍陸戰隊があり、海軍學校があるわけである。
 また福建省は地形と文化の遅れてゐることから、土着民が仲々精悍で、福建軍といへば軍閥時代の支那では最も強い素質を持った軍隊であった。第一次蘇浙戰爭のおり、うまうまと上海を奪った孫傳芳將軍は福建の山岳地帶から福建の土民軍を率いて長江に破竹の勢ひで進出したこともある。これも軍閥時代最後の殘光に過ぎず、福建省も他省の例に洩れずやがて國民政府時代となり、蔣介石の獨裁下に壓迫されてしまった。こゝでは一九三三年秋所謂福建革命が起こったことがある。蔣光鼐、李濟琛らの反蔣派が勢力を糾合、福州方面により蔣打倒の第三政權を立てたのである。これは當時蔣介石の包圍作戰に困窮してゐた江西省を中心とする支那共産軍とも反蔣的立場から聯携を持ってゐた。共産軍は國際路線を福建の海岸に持たうとしてゐたので、江西省から福建省西部の山岳地帶に進出してゐたのである。これもやがて蔣介石のために破られ、爾来福建省は完全に蔣支配下におかれてしまった。

〔日本との關係〕
 福建と日本の關係はかなり古い。平戸の女が生んだ英雄鄭成功が活躍したのも此の地であり、退嬰時代の日本に不満を抱いて支那近海に赤裸の雄姿を現した倭寇の群も、此の地で相当當活躍したものと見える。海岸のところどころに「何兵衛」といった、日本人らしい名前の墓標が松林の丘に今もなほ殘ってゐるといふのである。德川時代に入っても、九州あたりの漁船はこの方面に活躍したやうである。明治の御代になってからは、臺灣問題と關聯して非常に深い關係を持った。臺灣領有後、臺灣と福建の關係から、他の支那諸省とは違った特別な地位を占めたものである。と云ふのは臺灣人は多く福建・廣東人の流れで、ことに福建人が多い。而も、所謂本島人の言葉は厦門語である。臺灣人の祖先は福建に有るので臺灣を支配する者は、福建を注目せねばならないのである。而して福建から臺灣の出稼ぎ、臺灣から福建に至る者多く、福建に於ける臺灣人問題は屢々日支紛争の原因をもなして來たのである。かうした日本竝に臺灣と福建の關係は地域的にも特殊關係を持ち、早くも明治三十一年には福建不割譲に關する條約を支那と結んでゐるのである。だから日本にとって福建は支那の特殊地域とされて來たのである。支那事變が起る直前まで、我が同胞は内地人八〇五人、朝鮮人四一人、及び臺灣人一一九九四人、總計一萬二千八百四十人がゐて、夫々各方面に活動してゐたのである。
 これらは、國民政府の抗日政策が激しくなって以來、抗日テロに悩まされ、事變が起こってからは、スパイとして虐殺された臺灣人の數は相當に上ってゐるのである。ある臺灣人の女は、スパイとしてその美しき肉體を惡鬼の如き支那人に嬲り殺しにされた。在福建同胞の痛ましい記綠は數可ぎりなくあるのである。
 事變前には大連汽船、日淸汽船の廣東航路の船や、臺灣と厦門・臺灣と福建の定期船も通ってゐた(支那音は諸書を參考とし福建音による)

〔閩江(ミン・キャン)〕
 前述の如く陸上交通の發達してゐない福建省では水運があまりに便利なために鐵道が發達しなかったと云ってもいゝ程で、閩江の如きはその水系一州三十縣にわたって二十七都市を聯絡してゐる。福州を去る約百浬の延平付近ですら河幅千二百呎を超え、その全長は三百五十浬あると云はれてゐる。随って船の旅行は至極便利で、福州の萬壽橋を發着所として下流へは馬尾へ一浬、尚幹へ二十浬、長樂へ二十浬、官頭へ四十浬、長門へ四十三浬の航路、また上流へは洪山橋を徑て水口へ毎日汽船の便がある。
 水口より上流へは水量も少く岩盤が突出してゐるのでモーターボート、民船に頼ってゐる。延平より以上の水路は、三つに分かれ、東の水路は建甌ー浦城へ、松溪を徑て山宗安へ百二十浬、中央の水路は洋口、邵武を徑て光澤へ百浬、西へ向ふものは永安を徑て寧化に至る二百四十浬の航路が開かれてゐる。
 閩江上に浮ぶ民船の形式は單一ではなく、同じ帆のある船でも、風篷と云ふ布製の帆を存するものや、竹製の帆を持つもの、また櫂についても槳と云ふ長いもの、扒と云ふ團扇の如きもの等種々の様式が在り、家族常住の船仔、雜貨を積む猫雀船など雜多の船が汽船、軍艦、材木筏、竹筏、鵜飼筏が浮んでゐる間を上航下航する様は、また揚子江とは全く異なった江上風景で、旅情を樂しませる。

〔江上風景〕
 こゝで閩江の流れに沿ふて二三の話題をスケッチする。まづ福州の中洲と北岸大橋頭に跨ってゐる萬壽橋であるが、これは宋代には舟橋であったが、元の代に
頭陀王法助が約二十年に亙って苦心石橋を築造したもので、爾来小修理はしたが幾度かの洪水に遭っても壊れず、六百年後の今日嚴としてゐる。江南橋は中洲と倉前に架ってゐる石橋だが、萬壽橋よりは餘程新しく淸の乾隆年代に再築されたもので、何際述兄弟が獨力で造り揚げたものと云はれる。
 閩江の舟行の難所を灘と云ひ、八百四十二灘あるが、普通三十六灘、二十二灘が有名である。また虛と云ふのは上流地方の定期市場のことで、月數回開かれる。長髪賊がこの地方を通過して多數の人民を殺してから、人口が減少したので定期に虛を設けるやうになったといふことである。

〔江上を彩る蜑族〕
 閩江を語るにはその水上生活者である蜑族を忘れることが出來ない。閩江を上下する民船の上で艪を漕ぐ婦人聯の姿を見かける。髪は地方色豐な田螺髪または長い笄を挿していそいそと働いてゐる。これが蜑族の婦人である。蜑族は漢族に近い蠻の一種で、廣東の珠江上に住むものと同一であるが、閩江のそれには、その起源について特殊な傳説が傳へられてゐる。卽ち福州に住む蜑戸と偁する種族についてであるが、その祖先は蒙古種族で、成吉斯汗が天下を平定するや、蒙古人を各省に分駐せしめたが、明の太祖が興るや、蒙古人は逆に壓迫されその一部は水上に逃げて、楫舟漁業に従事するに至ったもので、爾来漢族との通姻往來を禁ぜられ、種族として特殊な生活様式を守って來たといふのである。陸上の者は彼等を「曲蹄仔」と偁して蔑視してゐることを指してゐるのである。
 なほ福建の住民は、漢人及び蜑族の外に北方から移住したと云ふ衣冠族、三本劍と偁する田舎土着の種族、山間に住んで特異な風習を守る余族等があり、仲々複雜である。
 三本劍族と云ふのは日本人が勝手につけた名で、福州の言葉ではない。この種族の婦人の獨得な髪飾りについて云ったのであるが、福州語ではその髪飾りを三條簪と云ひ、その人を平胶嫂といふ。三本劍といふのは長さ六七寸或は一尺ばかりの劍形の簪を三本挿し込んでゐる髪飾で、簪は銀製または銀鍍金、中には中挿一本が金製になってゐるものもあり、頗る偉觀である。この外更に耳墜環と云ふ直徑一尺ばかりの大耳環を兩耳に垂らしたものもあるが、餘に不便なので近年では小さい耳環になった。この三本劍のご亭主は大抵福州附近の農民である。

〔馬尾(マー・ミイ)〕
 福建省城福州に赴くのには、船は閩江を遡って河口から二十五浬の地點にある馬尾に一先づ碇泊し、こゝから小蒸気に乘りかへて九浬遡航、福州海關碼頭に上陸するのである。
 馬頭は河岸の一小都市に過ぎないが、海關出張所、郵政局、電報局、造船所がある。造船所は前淸時代唯一のもので、現在は僅かに小舟を修理してゐる程度となったが、却ってこれに附属してゐる海軍學堂は、支那海軍々人の殆どが巣立った學校として有名である。陸軍に於ける廣東の黄埔軍官學校に對比す可きものであらう。
 江中には馬頭巖、羅星島の勝景がある。馬頭巖は馬の頭の形をした巨巖で、干潮時には姿を現すが滿潮時には水中に没し去る。閩江のこの邊を馬江(マーキャン)といふのも馬尾といふ地名もこゝから出てゐるのである。羅星島に宋代の建築だと云ふ羅星塔が聳えてゐる。これは柳七娘といふ美女が不遇に終った夫の冥福を祈って造ったものだと云はれてゐる。朝陽夕陽に照り映える美しさは、不遇の美女のロマンスを偲ぶに相応しい風景である。


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