見出し画像

戰蹟の栞(76)

鳳陽、蚌埠方面の戰鬪

〔蚌埠附近〕
 鳳陽の近くの蚌埠は鳳陽城の新開地と云ふのが正しいやうである。臨淮關の西一二キロの地、淮河の南岸に在る。津浦鐵道の開通と淮河水運によって新都市が出來た。これが新鳳陽たる蚌埠である。もとの鳳陽は蚌埠の西二キロの地にあり、これが鳳陽の名で呼ばれ、新鳳陽たる新開地は蚌埠となって區別されてゐるが、舊鳳陽は見る影も無く寂れ、蚌埠は新興都市としてぐんぐん蘩榮して來たのである。

〔鳳陽(舊鳳陽フォン・ヤン)〕
 此の地は淸代の鳳陽府で、古の塗山氏國であり、春秋時代の鐘離子國、漢代の鐘離縣の地である。淮水の南二キロの地にあって、古來の蘩榮の跡形も無く寂れ、商業は見るべきものが無い。物産も少ない。明時代には太祖朱元璋の出身の地で、一時はこゝに皇城も置かれてゐたのである。明の太祖の父母を祀る孝陵は城南に存し、太祖がまだ世に出ないとき僧侶をしてゐたといふ皇覺寺も同地にある。こゝには太祖の畫像が殘ってゐる。孝陵、皇覺寺ともに今は荒れ果てゝ、唯、昔の名殘りを留めるのみである。鈔關卽ち税關の設置に依り臨淮關が淮河水運を左右するに至り、大鳳陽城の蘩榮は東方の臨淮關に奪はれ、津浦鐵道の開通は北方の蚌埠卽ち鳳陽の新城に奪はれてしまったのである。

〔蚌埠(パン・プウ)〕
 蚌埠はもと鳳陽城西の淮河に臨む小村に過ぎなかったが、津浦鐵道が開通以來、河南省東部及び安徽省北部の貨物が輻輳し、殊に淮河上流地帶の産物もこゝに集り、十數年の間に竟に安徽北部第一の大都市となってしまった。こゝは津浦鐵道と淮河の交叉地點で、水陸交通の要衝であり、軍事、政治の要地となってしまった。民國以來軍事長官は常に此の地に止まり、ことに督軍時代は督軍が省城の安慶におらずして、蚌埠にゐるため、政治の中心も亦蚌埠に移行して、蚌埠を一層重要な街として來た。國民政府時代に入っても、こゝは軍事上の要點とされ、軍事長官は常にこゝに駐屯し、而も、國民政府軍事の要衝として國府は出來るだけ直系勢力軍をこゝに駐めるやうに努めて來たのである。後で述べるやうに今事變の結果こゝも亦、我が軍の手中に歸したが、我が軍が進駐するまでは支那軍の要點として最も重要なものゝ一つで、兵營その他工廠などもあったし、空軍の據點でもあったので、屢々我が軍に空爆されたところである。こゝに集散する物産の主要なものは、河南、北安徽の豆、麥、高粱の農産物で、商業殷盛を極め、今や省城安慶を凌駕し、人口二十七萬四千に達した。戰爭の結果人口も激減したが、早くも皇軍の威光に感じて住民歸來し、平和の恢復と共に逐次蘩榮を取戻しつゝあるやうである。

〔宿縣(スウ・シェン)〕
 津浦線安徽省北端の要都で、北方江蘇省徐州まで四十キロ足らずである。人口一萬。鐵道開通までは地方の單なる農産物集散地に過ぎず、頗る振るはなかったが、鐵道開通後は附近の平野から出る高粱、豆、麥、及び烈山から出る石炭などの集散增加し、新市街が出來、商業も殷盛になった。宿縣の東に靈壁(リンピイ)がある。小都邑なれども附近の磬石山依り産する磬の名産地として古來より知られる。また歷史の遺跡、垓下はその東南に殘ってゐる。垓下は漢の高祖が銀鞍白馬のロマンチックな江南の英雄項羽を圍んだ古戰場である。この地方も今事變皇軍激鬪の地で、今その戰況を偲んでみよう。

〔臨淮關占領〕
 津浦線に沿うて北進中の添田部隊は、ハ方の敵を殲滅しつゝ北進を續けてゐたが、二月一日敵が主要據點と恃む臨淮關を完全に占領し、日章旗を高く翻したのである。臨淮關を占領した同部隊はさらに同日正午には蚌埠に向けまたもや北進を續け、午後五時には早くも臨淮關北方八キロの地點にある二店を占領したが、二店より蚌埠まで僅か九キロである。

〔鳳陽、蚌埠を占領〕
 津浦線蚌埠の前面の要衝鳳陽を死守せんとする敵は、二月一日午前十時より鳳陽南方の紅山の山嶮を利用して、倉林、田代兩進撃部隊に迫撃砲十數門を以て猛烈に反撃して來たが兩部隊の將兵は壯烈にも肉彈を以て見事これを撃破し午後二時半過ぎに一氣に鳳陽南方二キロの地點に肉薄して、鳳陽の死命を制するに至ったのである。この紅山附近の戰鬪は津浦線北上最大の激戰で、敵兵の死傷算なく紅山山麓の白雪を紅に染めたのであった。我が偵察飛行機によれば敵は算を亂して蚌埠に向け敗走中とのことであった。この報告が齎されるや、二日拂曉を期し倉林、田代兩部隊は鳳陽總攻撃を開始し、頑強に抵抗する第百三十八師約三千の敵を猛襲、遂に鳳陽を完全に占領したのである。
 かくて鳳城晴れの入城式は二月三日午前十一時半から將兵感激裡に堂々行はれたのである。連日來の雪空は拭ったやうに晴れ渡って珍しい入城日和、城内は日の丸の小旗を振って皇軍を歓迎すれば、勇士の眼にも、過ぎし激戰を思ひ浮べて、今日の感激に涙が光る。やがて輝く諸部隊は、朝香宮殿下より御下賜あらせられた葡萄酒で、祝杯を擧げ、萬歳の聲は鳳陽城々頭にこだましたが、その餘韻も消えやらぬうちに、またも進撃を開始したのである。鳳陽を占據した添田、倉林、田代、兩角各部隊は引續き蚌埠總攻撃を敢行、右翼第一線は蚌埠を衝き、激戰の後、午後零時三十分には完全にこれを占領したのである。

〔懐遠占領〕
 臨淮關、鳳陽を連ねる貴重なる一線に敗れた敵は、蚌埠に於いて我が軍の北上を喰ひ止め、決戰を挑まんとしたが、我が軍の東西南の三方よりする包圍猛攻撃と爆破に一溜りも無く撃滅され、蚌埠縣城より敗走する敵は淮河に沿ひ、ジャンク數百隻にて北方の懐遠に向け退却した。また我が軍は鳳陽、蚌埠、臨淮關附近の殘敵を掃蕩したが、敗殘兵は壽縣方面に向け潰走したのである。
 これを追って急進中の添田部隊は三日正午早くも蚌埠西北方五里の地點に進出、淮河を挟み交戰、中であったが、同日午後二時敵前渡河を敢行、懐遠城に突入して同城を占據したのである。

〔淮河以南各地の戰況〕
 蚌埠西南より周山北側溪谷に逃げ込んだ約一ヶ師の敗敵に對し、倉林、田代兩部隊は二月四日以來、包圍態形をとって猛攻中であったが、同日夕、敵は死體八百を遺棄して周山の尾根傳ひに潰走したのである。
 また定遠占領後破竹の勢ひをもって北進中の兩角部隊は、三日夕刻鳳陽西方六里の部落に於いて東東方より敗退中の迫撃砲數門を有する三千の敵と遭遇、激戰一晝夜、これに殲滅的打撃を與へて、多數の武器を鹵獲したが、更に最左翼の山岳地帶を進撃しつゝあった小野快速部隊は、所在の敵を撃破し四日午後二時淮河河岸に進出したのである。かくて去る二十八日滁縣を出發行動開始以來僅か數日にして淮河以南の敵を全く撃滅掃蕩し、この間に於ける敵の遺棄死體の總數は七千といふ稀有の大快捷を博し、徐州は餘すところ四十里、皇軍の意氣天を衝いたのである。
 かくて敵は、我が精鋭に江蘇、安徽の野を席捲され、淮河を北に渡り津浦線に沿うて徐州方面に向け潰走、集結しつゝあったのである。

〔蚌埠西南方へ敵逆襲〕
 二月十一日朝襄陽(蚌埠西南十二里)前面の敵四千は、小癪にも淮河を渡河逆襲し來ったので守備の添田、田代、倉林、横尾の各部隊の一部はこれに猛撃を加へ撃退したのである。尚十二日には懐遠に、十四日には蚌埠西南方十二里の上窰にある倉林部隊の一部に對し、敵約三千は淮河を渡河し、逆襲して來たのである。田代部隊は十四日朝鳳陽を出發しちぇ、救援に赴いた。また横尾部隊は十四日午後六時踏山寺附近にて約一千の敵と五時間に亙り壯烈な肉弾戰の後、これに多大の打撃を與へ、向十一時淮河沿岸を西進、上窰北方二里の地點に迫ったのである。また倉林部隊の一部は靠山鎭の敵五百を倒し、十四日午後九時孫庄(上窰東方二里)附近に達したが、さらに鳳陽上窰街道を西進中の田代部隊の先遣部隊は、十四日考城に到着、こゝに上窰の包圍は完了し各部隊は十五日早朝、一齊に攻撃の火蓋を切り、十五日午前十一時四十五分一齊に突入して四日間重圍の中に上窰を死守した西山部隊との連絡を遂げたのである。敵は我が軍の猛攻に死體一千を遺棄して午後二時過ぎ淮河を渡って馬趙廠方面に潰走したが、この敵は四川軍第百三十五師、第四十八師で、倉林、富田兩部隊はこの敗走の敵を急追したのである。
 小蚌埠、懐遠、上窰、靠山等の敵は尚ほも十八日一齊に、我が軍に向って逆襲を企てたのである。之に對して我が添田、岡田、西山、四ノ宮各部隊は、戰車及び砲兵協力の下に作戰、敵の部隊を巧みに我が軍の火線内に導いて殲滅を計ったのであった。この逆襲部隊は徐州に對する我が包圍陣の一角を破り、その退却路を淮河北岸に求めんと企圖してゐたものであって、徐州、宿縣、固鎭方面の敵が大勢不利を知って死物狂ひになって一方の血路を求めんとしたものであったが、我が部隊に徹底的に殲滅されたのである。
 これら地區全線に亙って我が軍に一齊に攻撃し來たった敵部隊は第百十二、第百十四及び四川雜軍の各敗殘兵、並に紅槍會匪を中心とする土匪總勢一萬五千であるが、我が方の勇猛果敢な反撃に遭ひ、十九日午後二時には靠山鎭附近の敵を除き何れも敗走したのである。
 蚌埠の敵逆襲は江北戰線最大のもので、戰鬪も激烈を極めたものである。敵の死體約二千二百、鹵獲兵器等無數であったことによっても如何に激戰であったかを知る事が出來るであらう。
 またこの地區一帶には引續き連日に亙って一日として缺かさず随所に敵は逆襲し來ったが、悉く我が軍に撃退されて、多大の損害を被ったのである。かくて敵は、徐州防衞の南方本據を宿縣に置き、北上軍を阻止しようと企圖したが、我が軍北上部隊は敵の意表に出て固鎭を避け、蒙城、永城の線に沿うて、徐州へ徐州へと一路しんげきを續けたのである。
 舊臘以來約半歳に亙って、江北地區一帶の廣地域に蠢動する幾倍の敵と交戰また交戰、赫々たる武勲をたて、今また徐州の敵の背後を衝いた。これ等諸部隊の輝かしき戰蹟は別項徐州戰北上部隊の戰鬪に於て詳述する。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?