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戰蹟の栞(あとがき)

投稿おわりにあたって

 半年に亙って老病人の繰り言にお付き合い頂いた方々と、掲載拒否されなかったNote編集部様に厚く御礼申し上げます。同時にPhotoを無断で使用させて頂きました皆様、特にtomekantyou1様には心よりお詫び申し上げます。本当に有難うございました。
 この『戰蹟の栞』は1938年12月に発刊された陸軍恤兵部発行の『支那事變戰蹟の栞、全3部』の復刻版でありますが、現在使用されていない字や表現が多々あり、筆者の独自解釈で変更いたしました。歴史といえば精々戦国から徳川くらいまで、近現代史は学校でも教える(よく知らない・タブーが多い・触れたくないなどの理由で)ことはありません。残念ではありますが、此処では、軍が検閲した文中から読み取れることも沢山あります。その一部を振り返りますと、
〇日本軍は、無謀な肉弾突撃で戦死傷者を多く発生させた。これには現地軍と参謀本部の意見齟齬が感じられる。
〇戦線を拡大していったことで補給が追い付かなくなり、戦闘機で輸送しなければならない程であった。その為に現地調達(収奪)の必要性が発生した。
〇単一の部隊が戦っていたのではなく、交代制がとられ、兵士には休暇が与えられていた。この部分が慰安婦問題につながったと思われる。但し当時の報道や文書などから強制連行などではなく、女衒の介在が在った。
〇この戦いに何の創造も無ければ短期撤収のシナリオが無く、天皇も感謝状を贈り、もっと支那人を殺せと命じた。この波は新聞報道が煽ったにも拘らず、戦後天皇の戦争責任を追及するが、メディアの責任は不問になっている。
〇「一衣帯水」は当時の日本軍が使用していたもので、習近平氏の造語ではない。もっとも、日本には支那大陸からのパクリも多いからこの言葉の語源になっている。
〇末端兵士の率直な面は当然活字には現わせないが、故郷に似た風景や人情、文化に触れ尊敬と望郷の念があふれている。
〇支那軍のほうでは、細菌(毒ガス)兵器を日本軍よりも先に使用していた。これは、かなり以前から準備されていたことの証左になる。
〇支那軍は敗走する際に、武器はもちろん軍服も脱ぎ捨て、民間人の振りで逃走した。これを追撃すれば民間人大虐殺になるのか。ただ、他陸各地に海軍航空隊ないし陸軍飛行隊が空襲し民間人を殺戮しているのも事実である。
〇蔣介石は上手く邪魔になる地方の有力者を排除し、領土を割譲してでも外国援助を取り込んだ。共産党の一党独裁中国の国際政策の基本線は今も過去継続する。
〇支那に対する各国援助は当然利害関係が先に立ち、ルート遮断は穴だらけ、現在の経済封鎖が何の意味も持たないことと相通ずる。

 コロナ禍や自然災害が多発する現代日本社会は、昭和の戦争に向かった時代に酷似しているとも言われています。天の代理者であるはずの天皇に天下号令する力が無く、それを支えなければいけない立場の政治屋は節操が無い程だらしない。強力な軍隊の存在が無いだけで、SNSの発達と天皇をシンボルとした社会の同調圧力、底辺社会の憤懣等、多くの共通性が見られます。歴史を教訓として我々は今何をすべきかを問い直そうではありませんか。但し、当時の天皇や軍隊の行動は肯定できるものではありません。如何なる事由があろうとも他人の土地に入り込み、人命や家屋を破壊するなど決して許されるものではありません。
 他にも多数ありますが記述系統立ち難く、老病人と云っても繁閑等しからず。支離滅裂の恨みもあり、行支欠くところなしとしません。随って十全を期し得ないところから、不本意ながら今後の執筆を留保せざるを得なくなりました。運よく筆者の命も留保できれば、何時の日にかまたお会いいたしましょう。

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