その為に茨城から来たわけじゃねぇ
どうも、コンカフェオタクです。
今回は考察記事ではなく私的なことについて話すので、わからない方はスルーしてください。
この記事が公開される頃には仕事納めが終わって、年末休暇に入っていることでしょう。
今年は流行り病が世界を席巻し、混乱が混乱を生み、いつもとは違う一年になったと思います。
そんななかでもコンカフェに通い、できるだけ 推しごとを全うできたと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、自分語りのターンです。
秋葉原に通い始めて4年7か月、コンカフェにハマってからは丸3年が経過しました。
自分はタイトルにもあるように茨城から秋葉原に通っています。
ひとくちに茨城と言っても縦に長いので、北と南じゃ東京への距離が雲泥の差ですが、割と真ん中らへんに住んでいます。
距離的には一般道を車で2時間半から3時間くらいかかります。
電車だと一番わかりやすいのはつくばエキスプレスが最寄りですが、そこまで1時間くらいかかるのでそんな変わらないです。
そんななかでも1年間で多い年は50回
自粛が叫ばれる今年も30回以上は秋葉原に通いました(自粛しろ)
去年からは札幌にもうつつをぬかすようになって、距離に関係なく好きな人に会いに行くことを生きがいにしてきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし、このコンカフェオタク人生も永遠に続くわけではございません。
推しが卒業すれば、その関係に終止符が打たれます。
実際に自分も秋葉原で一人、札幌で一人
推しが卒業し、別れを経験しました。
現在の秋葉原の推しは近いうちには卒業しないと言ってはいますが、
「いつまでも居ると思うな親と推し」と言われるようにいつ別れが来てもおかしくはありません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「いいオタクとはどういう人か。」
それは自分がコンカフェに通い始めてからの課題でもありました。
他の人より多くお金を使うこと。
他の人より多く通うこと。
他の人よりやさしくすること。
どれも口では簡単に言えますが、実践するには限度があります。
他の人より多くお金を使うこと。
→稼ぎは人並みだし使い方がヘタクソ
他の人より多く通うこと。
→茨城から通うには遠すぎる。特に平日は厳しい。
他の人よりやさしくすること。
→女性経験が少ないので接し方がわからない。
他の人より馬鹿なので必死に考えました。
まずは自分に言い聞かせるようにこの言葉を言うようにしました。
「イケメンと大富豪と推しの推しには勝てない。」
こういう人らを相手にして戦うには分が悪くて、いくら自分努力して頑張ってしたとしても得れるものが少ないことに気づきました。
ちなみに「勝てる」という表現は自分の中での損得勘定の一つなんですが、
自分の努力量に対しての見返りが多いか少ないかみたいな感じで使ってます。(すごく嫌な表現だとコスパみたいなことだとおもいます)
そんな中でも運がいいことに、最初の推しにはいい思いをさせてもらいました。
決して人より多くお金を使ってないし、全通もできてないけれども
「TO」という言葉を用いてもらえました。
自分の頑張りを推しに認めてもらえてすごくうれしかったです。
しかし、前述の通り別れは必ず訪れます。
「TO」と呼んでくれた推しも卒業し、推しがいない期間が訪れますが
これがとてつもなく虚無感が襲って、それを埋めるかのように散財しました。
次の推しはもともと定期的に通っていた人を「推します」と宣言してからでした。
ある意味、自分が会いに行っている人の中で推しの次に会いに行っている人を暫定的に「推し」に昇格させたといっても過言ではありません。
それだけ「推し」のいない期間は辛かったです。
次の推しは「オタクに差をつけない」人でした。
いっぱい通ってる人
たくさん使っている人
ガチ恋勢
厄介オタク
他推しのオタク
どんな人にも平等に接していて、自分のオタクや自分のことを好きと言ってくれてる人には少しだけ温度高めで接してくれるという印象です。
これができるキャストさんはなかなかいないと思いますし、これが推しの魅力でもあります。
ただ、推し始めた当初はこの考え方に賛同できませんでした。
前推しが「TO」と呼んでくれて特別扱いされたことに慣れてしまって
新しい推しにはそれをしてくれることはないんだと思いました。
なので「推し」と呼んでみたものの、今まで築き上げた「良い推しごと」が否定されてしまったような気がして悩みました。
さらには推し始めてからはじめての推しのバースデーイベントがありました。
自分は今まで入れたことないような高いシャンパンを入れて推しの期待に応えようにしました。もちろんそれなりの見返りを期待して。
結果としては悪くはなかったし、すごく楽しかったけれど悩みの種が残る形になりました。
それでも好かれよう好かれようと少し通ってみましたが、悩みはドンドン膨らむばかりでした。
「このままじゃ推しのことが嫌いになってしまう」と思い、会う頻度を極端に減らしました。
その分他の趣味に没頭し、コンカフェ通い以外のことに精を出しました。
その裏でも「良い推しごと」を模索するべく考えました。
Twitterを活用して「推し」のことを内外にアピールしてみたりしました。
・ヘッダーを推しの画像にする
・推し関連のハッシュタグのツイート(いい推しの日、30日間推しチャレンジ)
あとは札幌で推しを作ってなんか変わるかなと思いました。
札幌の推しがいなくなった今だから言えることですけど当時はめっちゃきつかったです。
元々、「推しを複数作る場合でも推しに差をつけてはいけない」という信念のもと推してきた人間なので、今まで1人の推しに10万円使ってきたとしたら、推しが2人になったときに5万ずつ使うのではなく、10万、10万の20万使えって感じの人間なので結構きつかったです。
この考え方は金銭面だけではなく精神的なものもなので、さっきのツイッターの運用(推しのハッシュタグツイートは2個作ったり)とか
片方をそう推すならもう片方も同じように推せよとなってしまいました。
しかも秋葉原の推しと札幌の推しの誕生日がめっちゃ近いということもあってバースデーイベントが近い日程で固まるという事態にもなりました。
それでも推し2人体制は自分の推し方のバリエーションが広がった気がしてすごく鍛えられたなと思ってるし、札幌のコンカフェもそこそこ深く知れてよかったです。
ただやっぱり「推し」という言葉の重みはどうしても薄まってしまうし、
「推し」という言葉が誰か”ひとり”を指す固有名詞にならなくなってしまって秋葉原の推し、札幌の推しと呼ばなくてはいけなくなったことはどうしてもネックでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「キヨさんはいいオタクだね」
そんな言葉を結構言ってもらえるようになりました。
そりゃそういう風にふるまっているんだからそうだけれども、やっぱり言われると嬉しいです。
だし、仮にお世辞だとしても自分の力入れていることを認めてもらったり褒めてもらえると無条件に嬉しくなってしまうものです。
この言葉を引き出すためにずっと考えて自分のコンカフェ論を確立しています。もちろん何も考えず「たのしー」って通えればいいなんてわかったうえですがね。
自分の才能を信じているわけではないですけど、自信があることの一つです。でも過信しすぎると大体失敗するので少し謙虚にふるまって予防線を張っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そんななかで、話は全然別の方向に行きますが、自分の今の仕事がめっちゃ嫌です。
すごく辞めたいし、もっと別の職に就きたいなとも思います。
それは一過性のものではなく、ここ1年ずっと思ってきたことでした。
ただ、それを思うたびに推しをはじめとする自分の好きな人の顔が浮かび、
嫌な仕事で稼いだお金でコンカフェに行けばすごく楽しい思いができました。
だからこそこの人生がずっと続けばいいのにと思う反面、こんな人生辞めたいという相反する思いが心の中で渦巻き続けていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最初に言ったように今年は流行り病のせいでいつもの1年とは全く違う1年になりました。
秋葉原に行くことさえ憚られたり、お店が休業してしまったり
それこそ好きなお店がつぶれてしまうんじゃないかと本気で思いました。
「当たり前が当たり前じゃなくなる」瞬間を目の当たりにしました。
それは推しの卒業と似たものを感じます。
仕事の嫌気と世間の危機感、それと前から自分の中にある希死念慮にもすこしスポットライトが当たりました。
自分は今24歳です。
これは世間一般から言えば若い類です。
コンカフェオタクという界隈から言っても若いです。
だってお店の中で最年少を経験することが多いからです。
でも自分は早く死にたい、消えてなくなりたい思いはずっとあります。
特に自分に強みもない、彼女とか守るものない。
老いによる心身の衰えとかめっちゃ嫌だし、将来の社会への漠然とした不安
まだ若いからで言い訳つくことが、年齢を重ねれば逃げ場がなくなってしまうことも気づき始めてしまう。
そんな前に死ななきゃ!と思ってきました。思い続けてました。
最初は未成年の頃、学生の頃に20歳になったら死にたいなと思っていましたが、就職して20歳越えていろいろできることが広がって死ぬことはありませんでした。
そのうち25歳までには死にたいなと軌道修正しました。
けれど22歳の誕生日を迎え、23歳の誕生日を迎え、24歳の誕生日を迎えた今年、なかなか人は簡単に死ねないし、社会も簡単に死なせてくれないなと思いました。
そこでもう一回軌道修正しようと思いました。
今の自分を殺して新しい人生を歩もう
今やっている仕事とか環境を一回リセットしてみようと思いました。
ただ、今の仕事を辞めてしまうと今やっている趣味ができなくなってしまう。推しに会えなくなってしまう。
そんなことを思うとなかなか踏ん切りがつきませんでした。
ただ、これは選択肢を増やすためのひとつの行動にすぎません。
新しい環境に変えてからだって推しごとはできるし、もっといい環境で推しごとをしたっていいじゃないと。
というわけで僕は今の仕事はやめようと思っています。
そのうえで2020年内でコンカフェオタクとしては一旦休止します。
良くしていただいた推しや他の人のことを思うと心苦しいですし、
自分が生きがいとまで言ったことを簡単に離れることは難しいとは思います。
ただ、約半年前から推しにはオタクを休止することを伝えてこの半年間で会いたい人全員に会えるように努力しました。
まさかそのさなかに札幌の推しが突如卒業してしまったことは思ってなかったですが、「ああ、潮時なんだな」と思いました。
正直、終わりを決めてやるとここまで気分が楽で、一回一回がめちゃくちゃ楽しかったです。
さっきも言ったように、今の環境は正直オタクするには厳しい環境です。
そんな中でもやれることはやっていましたが、限界を感じていました。
じゃあ次はもっといい環境を整備してからやろうと。
このまま休止じゃなくてオタク廃業してもいいかなとも思いましたが、選択肢を変に狭めてもよくはないので、「休止」にさせといてください。
よくオタクをやめる常套句として「自分がいなくても他のオタクがいるから大丈夫」なんてことを言いますが、僕は逆です。
「自分がいなくなったら不幸になってほしい」
それは前の推しに思ってます。ざまあみろと。
まあそこまで思えるほど推せてたなんてわかんないですけど、少なくとも「自分がいなくなっても大丈夫」なんて言いません。
でも「それまで推しに待ってほしい」なんておこがましいことは言いません。
いなくなったらそれまでだし、じぶんがそれに間に合わなかった努力不足です。後悔したくなかったらそのために動きます。動くはずです。
こんなこと言ってオタク辞めた後に彼女作って結婚したらコンカフェ行くことないだろうなと思っていますがね。
その時は推しに嫁の目の前でシャンパン入れなきゃいけないのでその約束は果たします。
今年あと一回、推しに会えます。
いつも通り、楽しくおしゃべりしてお酒飲んでチェキを撮って帰ろうかと思います。
それが一番楽しいのがわかっているからです。
後悔なんてない、
その為に茨城から来た訳じゃねえ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?