7月24日

なにかしたくてもなにすればいいか分からないしそもそも分かった所でできなくて、本当に今すぐお前に殴り付けて欲しい(嘘、殴らないで)という気持ちになった時、どうすればいいんですか。自傷はその代替にならない。

小学生の時からやってる変な自傷が高校を卒業した今もずっと続いているし、長く継続してきたことのトップが変な自傷行為になるとしたら、どうしようもなくて、そして少し笑える。こんなに続けたのだしそろそろ人生を好転させる様な作用を見せても良いんじゃないだろうか。この自傷行為にはかなり恩を売っているはずだ。

14歳くらいの時の誕生日に母親から何故そんなことをずっとするの?と問い詰められて、理由なんて無かった為に黙り込んだ。沈黙に寡黙か雄弁かがあるならば、その時の黙り込みは母親にとって雄弁であったらしく、母親の想定していた理由の通りだと受け取られ酷く叱られた。答えが存在しないのに回答しなければならない状況が嫌だったのか、答えられないことで母親を傷付けたのが嫌だったのか分からないが、気分が悪くなる程泣いた経験はその1度だけ。そんなことがあっても結局そこから自傷をやめることは無かったし母親も最近は諦めて見て見ぬふりをしている。

10代の誕生日のうち1つが自傷行為の理由が分からずに人生で1番の号泣とかになっても文句を言わず続けてやっているのだからそろそろ恩返し、しなよ。


こんなことずっと言ってても意味が無いからちゃんと今日あったことを思い出します!

そう言えば高校の体操服を部屋着にするやつ、やろうかな、夏だし。と思い立って、体操服を着てみたものの高校生の気分になったりなんてことは無く、ただただ自分はもう高校生では無いんだ。という何回目かの思い知りをしただけだった。

よく考えれば(普通の人はよく考えなくても分かるんだろうけど)体操服を部屋着にする という行為自体がもう高校生では無い人の行為だから高校の頃の気分になる筈が無かった。

今日あったことこのくらいしか思い出せないしもう終わりにします!


その人のために何をどこまで捨てられるかが想いの大きさを示すと考える人が、相手の為に命を捨てるのが想いの最大だとすること程つまらないことってそうそう無い。命より捨てたくないものを見つけている筈なのにそれを見ないふりして逃げているじゃないですか。そんな逃げ道を作るなら最初からどこまで捨てられるかで競わないで欲しい。つまらないから。

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