8月6日 とうさつ

なんとなくずっと盗撮のことを考えていた。

多分初めて盗撮に興味を持ったのは15歳の時くらいで、高校1年生だったと思う。
通っていた高校の通っていた科は1学年に1クラスしかなくて、他の科とは棟が違っていて1年生から3年生まで教室が同じ階で横並びだった。必然的に1〜3年の生徒全員が同じ廊下、同じトイレを使用することになる。
トイレに入って息を潜めていれば、違う学年の人達の少し隠しておきたいような話がよく聞けた。ほぼ盗聴の様な格好であるし罪悪感も少しはあったけど、クラスの人と話すより遥かに楽しかったので結局3年間やめられなかった。

人がこちらを意識してない時の言動 に強く惹かれるようになったのはこれがきっかけで、自分が透明人間みたいになる感覚の心地良さとか諸々を、盗撮すればもっともっと味わえるんじゃないかと思いつつ3年間実行することは無かった。

女子生徒が学校の女子トイレで盗撮をする。これってなにが悪かったんだろう。
自分は性的な対象を同年代の女の子にしてはいなかったし、撮ったものをどうこうするつもりもなかった。ただ撮って、見て、心地好くなりたかったし、今もそう。
私は自分の人生を壊さずに行える最大のチャンスを逃したのかもしれない。

本当は盗撮をしたくない。ただ透明人間になりたい。透明人間みたいになる方法で1番理想に近い物が盗撮だからちょっと試してみたいだけで。
なんで毎回、外出先でトイレに入る度申し訳なくならないといけないんですか。でも、申し訳なさを感じなくなっちゃったら、もうやっちゃう気がして頑張って申し訳なさを感じようとしてる自分もいる。

トイレで撮った自分の靴

透明人間になりたいなら、こういうの撮って耐えられる訳無いんですよ。でも、トイレでシャッター音を出すことでなんか少しやった気になれてしまう。
これってなんなんですか。
私って「透明人間になる」ことが目的で盗撮したいんじゃないのかよ。
目的より過程に重きを置き始めてないか?

こんなこと考えてたって、もし撮っちゃってバレちゃったら結局動機なんて関係無い、ただ18歳の女が盗撮したってだけだし、それが本当に迷惑だし有難い。


皆さんって自分の盗撮的な性質をなんでそんなに無自覚に晒せるんですか。トイレ程じゃないにしても対象がこちらを認識していない擬似的な透明人間化をしている最中に見たことをTwitterに書いたりしてるのって盗撮したものを人に見せてる様なもんじゃないですか。その行為は良い。なんで盗撮を嫌うんですか?お互いに盗撮されてる意識と盗撮する意識を持って関われたら良いのに。
そうでない人たちと関わっていくのが社会って可能性があるのが怖い。私はまだ社会に出ていないガキだから、本当に怖い。
みんなが盗撮犯じゃない気持ちで生きてる中で生きないといけない?
もう何が言いたいのか分からなくなってきた。

盗撮について人の話を聞く機会があまりにも少なかった為に少し話を聞いてこんなことになってしまった、本当に情けない。
いつかもっとちゃんとまとめます。

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