9月1日と2日

夏休み的な期間が終わって、透明少女を聴くのをやめた。若者のすべてを思い出すことをやめるのはまだもう少し先でもいいかなって感じだ。

最近はハヌマーンのハイカラさんが通るを改めて聞いて、ハヌマーンいいなって思って今も聞いてる。

兄が家に帰ってきて、兄の帰省で恒例行事になりつつある最近聞いてる曲紹介をやった。アーバンギャルドを紹介したら、スマホを弄ってた手を止めて、意味わかんないくらい良いじゃんって笑ってくれたから嬉しかった。
2人でYouTubeでオススメ曲を流し合って、スマホを触ったり、勉強した。

兄は自分の憧れの1つでもあって、高校時代に運動系の部活をして、好きな子と付き合ったりして、(少なくとも私の中で)理想的な高校生だったしそのレーンを無意識に行ける。本当に凄い人だと思う。
滅茶苦茶慕っていること前提で、負い目を感じるし妬ましいとも思っている。

家族の事を考えていて、なんとなく自分の名前のことを思い出した。
自分の名前は、人と人とを繋ぐような人になって欲しいという意味が込められていることを母親から何度も聞かされた。
その結果が、別々のフィールドで仲良くなった面白い!と思った人、2人を引き合わせ、2人が話している所を見て爆笑したいよ〜〜と常々思っているような自分なんだから凄い。
名は体をあらわすとはよく言うけど、それってこんなに縁切り神社的なあらわし方をするんだ。お礼参り的な改名ガチャを何回も回せはしないし、結構厄介かも。


瘡蓋を見せあった後、自分のアピールポイントを見せるタイプのコミュニケーション。

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