7月21日


今日の日付はなんか、わざとらしさが強くて嫌だった。好きな人の誕生日なら多分好きなれてただろうなぁくらいの嫌悪感。

なんか死っぽいことがしてみたくて、離れたくない人と繋がってるアカウンを削除してnoteも全部消してみたけど全然なんにも起こらないしアホらしくなったのですぐ元に戻した。
一瞬の希死念慮を満足させられたのでこれはこれで良い。帰りに駅でちゃんと電車に乗れたのは、きっとこの行為のおかげだと信じるしかない。

利他的か利己的であるかに大した違いは無いのに、
その違いが最も大切であるかの様に振る舞うことは楽しい。人から見て利他的な行為に利己的な意図を込める時の快感は、意味の無い嘘(思い出話の年齢を数年ズラす等)を人に吐かれた時に似ている。
主観と客観を同じ人格が行うのって無理がある。
主観には客観が混じるし、逆もまた然りで頭の中がグチャグチャになってこのグチャグチャが自分だと認める時の不快感を無くしたい。これは私の頭が足りないからなのか、それとも頭の出来不出来では無くみんなこうなのか気になって仕方ない。

例えば、誰かを愛するってことがその人との記憶を信じることなんだとすれば、記憶力の優劣は愛の優劣と同義になるんだろうか。あの人は多分そんなことを語っていた訳では無いんだろうけど、どうしても。

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