8月18日

嬉しい!面白!嬉しい!みたいな日だった。
一日の空気が良い感じで、嫌なことの影をちゃんと見た上で受け入れられていた。と思いたい。
話したい人と会って話せることがこんなに楽しい を毎日やりたいけど、やっぱりそんなこと難しいし、だから尚更それが何個か重なる日があると嬉しくなる。

少し話が合うし仲良くなれるかも!と思っていた人から2人きりの時にご飯に誘ってもらえた。相手もそう思ってくれてたんだーと思ってすごく嬉しかった。仲良くなりたい、切実に。
こいつと仲良くならないとみたいな義務感を持つ時がたまにある。

嬉しいことがあっても文章にしたいと思わない時があって、誰にも渡したくないタイプの嬉しいことがある。
SNSに書かないことが本当の〜みたいなそういうことを言いたい訳では無いです。そういう言説は本当に煩い。

わざわざ分かりきっている言葉の暴力性について言及していたり、SNSで自己顕示欲を満たしている(ように見える)人を嘲笑しているグロさと言ったらない。
人は簡単に傷つくとかそんなの分かりきっている、誰だってカッターを肌に滑らせたら血が出るんだから。簡単に傷つくの分かった上で、どんな風に傷付けていくかの創意工夫をみんな重ねていっているんじゃ無いの?


目先の面白さにつられ続けて、全部の瞬間面白いと思えたら長期的に見て不幸でもそれに気付くことなく一生を終えれる?
お腹が痛い時、面白いって思えないからちょっと厳しいかも。

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