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第18回東京大学五月祭記念弁論大会の感想

2024年5月18日(土)、東京大学五月祭記念弁論大会に伺いました。
弁論大会の感想を書くのはちょうど1年前の第17回東京大学五月祭記念弁論大会以来になります。

前回は「大学生活も折り返しに入り、学生弁論界では"上級生"と呼ばれ、"老害"に差し迫っております」と書いていましたが、いよいよ4年生になってしまい、ホンモノの"老害"になってきました。
大人気なく野次や質疑を威勢よくする気力もなく、ここぞという時のみに抑えております。

それでも皆さんに提供できる価値があるだろうと考え、3年前から弁論を見ている"老害"には今の弁論はどう映るのか、noteに記してみたいと思います。


午前

第1弁士「愛情と矛先」(学習院大学)

弁論のかなり早い段階で「好きなものを好きだと公言してアピールすべき」とメインの主張を提示することで、弁士と聴衆が焦点を合わせた状態で議論に入ることができていました。
モノへの愛情を表す態度について「攻め:公言する」「守り:隠す」の2つで議論するのは、一見すると単純すぎるようですが、現状の多くは「守り」になっているとしっかり論じられていたため、一定の網羅性がありました。その上で対置された「攻め」であろうと主張する論理構成はとても分かりやすいものでした。

一方で、弁論の後半から論理の脆弱さが現れてきたように思います。
弁士が理想とする「攻め」のメリットだけでなく、功罪を論じ、「守り」との比較を聞きたかったです。対置された構造でありつつも、対比するには粒度が揃っていませんでした。
また質疑において「加害性のあるものは言わないべき」など言及されていたところからは、弁論中で提示した解決策の範囲が特定されていない印象を受けました。
結局、それが行き過ぎた社会がポリコレがもたらす悪い面なのかなと思ったりしました。

総じて、よく準備された弁論であるように感じました。


第2弁士「博徒」(慶應義塾大学)

(第3位)

データの使い方と情報の出し方に問題があるように思いました。

例えば、日本のギャンブル依存症が「OECD各国より高い」のは実数として「問題である」とすぐに言うことはできません。

また、日本のギャンブル依存症対策は不十分であるとの主張でしたが、ギャンブル依存症自体がもたらす悪影響の提示に終始しており、現状どのような政策が取られているかの分析がありませんでした。
例えばIR推進法の附帯決議では、ギャンブル依存症対策の抜本的強化、実態把握、相談や医療提供の体制強化、教育の取り組み強化が求められています。こうしたことに一切の言及をせずに大阪IRを批判し、弁士にとって都合の悪い情報を出さないのは適切でないように感じました。

分析と解決策が論理的に接続しているか・対応しているか、検討していただけるともっと良い弁論になると思います。


第3弁士「努力はマクロに勝てない」(上智大学)

実感として共感できませんでした。

その原因は、問題設定〜分析の解像度の低さです。
別に全ての論点で具体例を出して網羅的に把握する必要はないのですが、価値弁論である以上、弁士の世界観を聴衆と共有して議論を進める必要があるのではないでしょうか。

また弁士自身が二元論を提示し、自ら批判するというのは、論理展開として違和感がありました。

胸に秘めた思いは確実にあるのだと思います。
今後のご活躍に期待します。


第4弁士「かわらないもの」(日本大学)

地域コミュニティ・自治会に関する弁論でした。
余談ですが、私の地元である武蔵野市には歴史的・政治的な理由から自治会がなく、その意義を実感として分かりようがないため、自治会の意義付けに注目して聴いていました。
弁士の体験・想いを基にした弁論である点が好印象でした。

全体的に、因果関係など論理構造の順番を取り違えているように思いました。
結果として、地域コミュニティに参加する人の減少に対して、地域コミュニティへの参加を促すという、原因分析とされた部分が活かされない裏表の解決策になってしまっていました。

弁士の原体験は、抽象化するとさまざまな問題意識が生まれる貴重なものでしょう。
今回はその中の1つをご提示いただいたということで、是非他の可能性も探ってみる価値があると思います。


第5弁士「伝馬」(神奈川大学)

「交通違反すると事故りやすいから、監視して取り締まろう」という論旨だと理解しました。

教習所に通わなくても想像できる常識から、裏表をひっくり返しただけの解決策になってしまっていました。
この原因は分析の不足にあります。
何を議論しているのか論点が分からない状態で、様々なデータとその解釈が述べられていましたが、その結果提示されたのは一般常識をデータで裏付けるだけでした。

想像ですが、演題「伝馬」、カテゴリ「物流政策」ということから、元は物流の2024年問題に関する弁論であったところ、断念して急遽今回のテーマになったのではないでしょうか。
いずれにせよ、弁士による分析から導かれる示唆を期待します。


昼休み

正門向かいの「吉田とん汁店」にて。
油まみれの早稲田には、こんなに健康なお店はありません。うまい!

豚汁定食 ¥700


午後

第6弁士「189」(拓殖大学)

(優勝・聴衆審査賞)

自己言及性をもって問題設定を導出できていたため、他の弁士と差別化できていました。

印象は良いものの、中身の論理性に課題があると感じました。
根拠をもって論証されていたのは現状把握・支援できている虐待の現状のみで、弁士が問題として設定したスコープの範囲外のものであり、解決策導出への効果が薄くなっていました。
したがって問題への有効な分析がなされず、問題に対して裏表の解決策をジャストアイデアで述べる結果になりました。なぜカウンセリングか、なぜアンケートで、それが健康診断のタイミングなのか、根拠がありませんでした。
自己言及性はあれど、広く知られている問題であるし、解決策も目新しいものではなかったので、分析が重要になるはずです。

また、細部で雑さが目立ちました。「アウトリーチ」という言葉がありましたが、支援対象者に対して行政が積極的に働きかける支援形態のことであり、アンケート調査はこれに当てはまらないでしょう。

総じて、より良い弁論を作るための素地が感じられる弁論でした。
問題導出の過程に光るものがあり、ふたたびの弁論に期待します。


第7弁士「うむを言わせず」(明治大学)

(準優勝)

演題が上手いですね。

ひとつのストーリーとして成り立つ展開でしたが、論理的な裏付けが足りないように思います。
まず問題設定において、教育との両立の問題を解消すれば中絶・退学に至らないという議論の対象者がどれくらいいるのか、弁士の推定が甘く上振れして伝わっているのではないでしょうか。「迷った」40%をすべて含むのは流石に強引に思います。

また質疑で明らかになったように、リサーチによる根拠付けが弱いように感じました。演繹的に推定を積み重ねることでストーリーを組んでいましたが、1つ1つの分析の根拠付けがなされずに弁士の確信のみで展開していたので、1つのストーリーとしてはあり得ても他の分析も考えられるでしょう。

弁論全体を通して、大きな欠陥を感じることはありませんでした。
全体として、一定の完成度に至っていました。


第8弁士「0番出口と行き止まり」(法政大学)

弁士の信念に引っ張られすぎて、客観性が犠牲になっていたように思います。

弁士が学んでいらっしゃる分野から、出自を知らないことがアイデンティティに与える影響を詳しく論じられることは強みになり得ます。しかし、それを議論の柱にして、またアイデンティティの確立を絶対的な目標にして他の影響を考えない(権利と権利が衝突した際には比較衡量が必要である)論理展開になっていたため、根拠付けが弱いものでした。

またこのテーマであれば、出自を知る権利についての議論を整理して自分のスタンスを主張するべきでしょう。出自を知ることがアイデンティティ形成にとって重要、という内容に時間が割かれすぎていたのが残念でした。

弁士の強みを適切に生かした次の弁論に期待します。


第9弁士「誰ひとり取り残さない」(早稲田大学)

政策弁論としての説得力は弱いものでした。
自分が政策担当者であるとして、この政策を採ることはおろか、問題であると認識さえしないでしょう。

まず、問題が小さすぎます。
上振れが想定される推計でさえ「2011年までに720人」というのです。単年ではありません。遠い過去から2011年までの間での累計です。
また、解決策も思いつきとしか言いようがありません。
問題に対する裏返しでしかなく、分析が全く意味をなしていません。

早稲田の弁論はこんなんじゃないはずです。
後輩諸氏におかれては、新入生にどういう弁論を書いてほしいのか、背中を見せてほしいと思います。


第10弁士「性のインフラ」(國學院大学)

基本的なことが満たされた弁論で、一定の筋が通っているように感じました。

唯一、解決策のみ同意しかねるものでした。
健康診断でなんでもやればいいものではありませんし、保健所の公衆衛生医師のキャパシティにも限界があります。
分析過程の後半からずれ始めたように思います。

声調というか、態度がとても良いものでした。
弁論中に野次が大きくなったタイミングで、マイクに口を近づけて大きな音で続けるなど、堂々としていて好印象でした。


第11弁士「計算機にも人権を〜人権の拡大の歴史を通して〜」(長崎県立大学)

聴衆を盛り上げることはできていましたが、その盛り上がりは弁士の主張への熱狂ではなく、「いやいやいや」という拒否感から来るものでした。

弁士の主張は全く理解できませんでした。
突飛な主張をするなら、新たな規範を提示しないといけません。


第12弁士「教養の再生」(東京大学)

理解できませんでした。
弁士の言う「教養」を理解するために、高度な教養が求められていました。

聴衆に寄り添った弁論をしてほしいです。


総評

感想

まず、昨年の総評を引用します。

今日の大会に参加したことで、これを知れてよかったなあ、こういう分析の観点があるんだなあ、といったものはありませんでした
弁論はレポートではありません。
少し、残念でした。
せっかく弁論大会の会場に来て、時間を費やして弁論を聴いているわけなので、新たな知見を持ち帰りたいものです。

第17回東京大学五月祭記念弁論大会の感想

この想いは今も変わっていません。
大会の前に、このようなツイートをしました。

新規性に期待する。
未知の重大な問題の発見、
既知の問題への斬新な分析、
停滞する現状を打開する新たな解決策を期待する。

今年はどうだったでしょうか。

取り上げる問題がありふれた問題すぎる、あるいは小さすぎる。
分析に論理性がない、深く考え真因を特定するに至っていない。
解決策が思いつきでしかない、実現可能性がない。

10分強という時間を消費しても何の示唆も得られなかったことへの残念さ、退屈さを感じてしまいました。

全て満たす必要はないのです。
せめて1つは含む弁論をできないものでしょうか。
そうでなければ、既存の知恵をまとめたレポートでしかないのです。


解決策について

解決策について1つ付言しておくと、検討が甘い解決策が年々増えているように感じています。
昨今の弁論大会で提示される政策は、そのほとんどが、実施しない方がまだマシなものであると考えています。

仮に今日の弁論大会の政策を全て導入すると、

  • ギャンブル依存症に陥っていないかカウンセリング(第2弁士)

  • 虐待を受けていないかアンケート(第6弁士)

  • 性感染症に罹っていないか検査(第10弁士)

の3つの項目が定期健康診断に追加されることになります。
弁士がもっと多ければ、さらに増えていくことでしょう。
際限がありません。現場のキャパシティは限られています。

真に解決すべき課題を特定し、実現可能な政策を導入していく。
その過程で論理的に考え、データや根拠に基づいた政策立案をしていくのが現代において求められるEBPM(Evidence Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)です。


投票に行きますか?

さて、突然ですが、みなさんは選挙の投票に行きますか?

有権者が投票するか棄権するか、下記のような有名なモデルがあります。

R = P × B − C + D

R = 投票によって得る便益
P = 自分の投票によってBを得る主観的確率
B = 自分が選好する候補者が勝利した時に得る便益
C = 投票のコスト
D = 投票への義務感

ライカーとオーデシュックによる投票行動モデル

このモデルを参考にして、僕が弁論大会に行く理由を説明するため、各変数を言い換えてみましょう。
Rが0より大きければ弁論大会に行くことになります。

P = 弁論大会で「良い弁論」に出会う確率
B = 1つの「良い弁論」から得られる知見・示唆
C = 交通費
D = 弁論部員としての弁論大会に行く義務感

ここで、P(弁論大会で「良い弁論」に出会う確率)は、どれほどでしょうか。

残念ながら、限りなく0に近い数字になっていると思います。

ここ1年、何度弁論大会に通っても、新たな知見・示唆を得ることができていません。
P × B があまりに小さいのです。

したがって、僕が弁論大会に来ている、すなわち、R(弁論大会に行くことで得られる便益。0より大きければ弁論大会に行くことになる)が0より大きくなっているという現状は、

C(交通費) < D(弁論部員としての弁論大会に行く義務感)

によって説明されます。

弁論大会熱の強い僕は C < D となるので来ているのですが、このままだとどんどん人が離れていくのではないでしょうか。

学生弁論界の未来に必要なことは、熱心な新歓活動だけでなく、入った後の活動のクオリティが重要なのではないでしょうか。

2024年度前半の弁論シーズンが始まりました。
共に頑張りましょう。

次回以降の弁士に期待します。


ご意見、ご批判、ご指導をお待ちしています。
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