旅漬かれ夢気分
はじめに
物事には両側面があります。真っ平らな世界はありそうでいて
ありえません。
厚さのない2次元な世界にどうも我々は行きていません。
4次元の世界に生きてるようで
実は多次元の世界に生きています。
こんな出だしを書いてあたまおかしいヒトと思われてる?
いやおかしいからこそ、なお書きたいのです。
旅の途中感覚から抜け出せないほどの旅の魅力よ
どうにも私は旅についての強い抑圧や偏見の持ち主らしい。
何が嫌でいやで仕方なかっただったかって修学旅行だ。
わざわざ計画を立てて事前に予習して。
最後に記念に写真をアルバムに添付して
わかったことを学習体系にしてまとめろという。
本当に大きなお世話だ。
あんな馬鹿なこと押し付けるから
東京に観光旅行とかむしろ魅力が霞むのだ。
学校が押し付けるなよ。お金もかかる。
というかお前たちが旅の魅力をさもわかったように
先取りしたおかげで
このトシになるまでわからなかったんだ。
旅の魅力というものが。その魔力というものが。
どうも学校が旅行を嫌いにさせるらしかった
いつから旅って生活の必需品になったんだろう?
旅にでなくてもダイジョブなヒトがいる。
そう私だ。
旅なんて贅沢品。ねんがらねんぢゅう働いてるヒトへ
プレゼントすればいい。
たまには羽を休めたい。そんなヒトへプレゼントすればいい。
それを録に苦労もしない若者教師たちが
さも魅力をわかったような口をきいて旅なんてもんは
ろくなもんじゃないと私に印象づけた。
そもそも集団でしか旅というものを捉えることを
してこなかった自分が一番恥ずかしい。
台湾へ一緒に旅行へ行こうと学生時代にさそってくれた
ぼんぼん坊っちゃんのIくん。
は?こいつ何言ってるん?
学生は勉強が本分やろ?
遊びたいなら勝手に遊べ。こっちは学業したいんだ。
邪魔しないでくれる?とか言えなかった。
当時はお互いに切磋琢磨し合う仲で。
こっちは国立。相手はKO大学。
こっちがノックダウンをしていた。
学歴の差は今日は触れないが。
低能未熟大学を彼は努力して一発合格したんだ。
私より何よりも学力が高かった。
私がそれを嫉妬して今見苦しいあがきをみせる。
どうしてあの時ありがたい申し出を受けて
一緒に共に旅をしなかったんだろ?
勇気がなかったんだ。お金持ちに足元みられたくなかった。
彼は彼なりに厳格な躾をうけて何よりも時間や約束を大事にする
それでいておおらかでユーモラスでくったくのない笑顔で
そして名家の血を引き妹さんは妹さんで芸術家として
今もなお舞台を踏んで多くの観客を魅せていることだろう。
あれ?
どうしてこんなことを言ってるんだ?
そうだ。Iくん。キミに謝るすべがない。
接点はフェイスブックでなはくてlinkedinくらいだ。
私から接点を持とうとは思えない。
でもあの時は純粋に私と旅をしたかったんだろう。
私は未熟だった。
どうしてJRでなくJTBの時刻表を毎月購読してたのか。
どうして旅行というものが存在したのか?
どうして白磁の素敵な器を私にプレゼントしてくれたのか?
私には豚に真珠だった。あんな高級品をもらっても。
そして中国の旅で見事な器。
老酒をあっためて飲み干す杯とあたためる急須みたいなもの。
引っ越しの時に不注意で割ってしまった。
そしてそれらを思い出したすのは念水庵を訪れたのが契機になった。
念水庵という知恵の湧き水を飲んで
白磁で思い出すのはこの夏に訪れた禅寺念水庵様。
もう手元には残っていない。でも鮮やかに思い出す。
それは今回のマキノ市のお堂でみた見事な仏像を見て思い出すことになる。
私は思う。
金持ちは大嫌いだ。
名家の御子息だの深層のご令嬢だの。
まだこの世には身分の格差が歴然と存在する。
年齢性別人種信条を超えて私は仲の良い人間関係を
構築できるだなんて夢にも思わない。
歩み寄りはできるだろう。
そしてお互いの情報も譲歩もするだろう。
尊敬の交換だってできるかもしれない。
でもどうだ。
あの福澤諭吉大先生でさえ脱亜入欧を唱えたんだ。
身分制度は親の敵であると述べたほど
学問のすすめという大ベストセラーを書いたのだ。
ヒトに天上天下以下はあまりに有名で私が述べるほどのことはないが。
いみじくも私の悩みを聞いてくださったnoterでイラストレーターのあすずさんがおっしゃったことを思いだす。
ヒトがヒトである限り同じ本当に近いDNA構成であって
病気や障害の有無があるにせよ誤差みたいなもんだ。
閑話休題。
私は怒りを燃やす。
教育というのはどんだけ劣悪なのか?
いや、拒否反応を起こしていた旅なるもの。
生活に必需品でなく交渉な考証な高尚な趣味だ。
あんなもの。
生きていくのに食料と空気と水と住居と被服だけあればいい。
家屋(house)家庭(home)を作る過程なんて本来どうだっていいんだ。
生きていくためならば最低の要素さえ満たせばよいのならば。
ヒトはどこで野垂れ死にしようとも自分の死を予想できる存在だ。
いわばメメント・モリである。
そして旅をして座禅を組み、書の恩師の面影を忍び
私は再会したい念を出していった。
念には念を入れよというがその念は届いてるんだろうか?
明るく朗らかな細川たかしの好きなM宣誓よ。先生のおもかげは
いまもなお私を鞭打つ。
「うまいじゃねぇか」
「お、どんどんわしの字と似てきたなぁ」
「あとからグチグチいうのは嫌いだ、書いたあとでぐたぐたいうな」
私はあなたに会うすべがない。
ここ筆の街豊橋に故郷をもって異国の地を訪れて
はっきりわかったのだ。
可愛い子には旅をさせよという真実
旅は娯楽とかオマケだなんて決して無い。
旅は人生の必需品である。
ここから先は
noteは私にとって宇宙。 そんな宇宙と宇宙の間で巡り合うことの不思議さを共有したいのです。 共感してもらえたらもうそれだけで十分。 仮にも頂いたご支持/Supportはあなたに会うその日のためにプールされます。で、実際に会ってあなたとお話したらそのお金を再度宇宙へ還元されます。