ことと

大学職員として約10年間、働いていました。 その経験を基に創作しています。 創るからには、ハッピーエンドなものにします。 ※ここに在る記事は全て創作です。

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大学職員として約10年間、働いていました。 その経験を基に創作しています。 創るからには、ハッピーエンドなものにします。 ※ここに在る記事は全て創作です。

最近の記事

九州大学職員として受けた、いじめ・パワハラ

フィクションとして吐き出すつもりでこのアカウントを作りましたが、創作すること自体が苦しくなってしまったので、ストレートに綴ります。 私は2012年から2017年まで九州大学の職員として働いていました。 職員といっても様々職種はありますが、私は「施設に関わる技術職員」として働いてました。施設の設計や施工管理、メンテナンスを業務としていました。 そこで、徹底的にいじめられました。 はじめに配属された部署は、病院施設の保全係でした。 他の部署から隔絶された建物の中にありました。

    • 12.やさしいと評価される係長

      タケシの上司 村石 貴之 係長。 周りからはやさしいと評価される人物だった。 村石はある意味生粋の”大学職員”だった。 どんな無理を言われようが、理不尽な指示されようが必ず「はい。」と応える職員だった。身を削り、毎日深夜まで働き、残業代もろくに申請せず、定時を過ぎると職場の冷蔵庫で冷やしてあるビールを飲みながら仕事をする。未婚の村石の楽しみは、地元球団の観戦とスマホゲーム、キャバクラだった。 タケシは村石が嫌いだった。 村石の古い価値観にも嫌悪していたが、何より、部下を護

      • 11.キャンパスをつくり、まもる仕事

        身体の痺れに指先の震え。 心当たりがある。 過労とストレスだ。 タケシの業務は複数あった。 大きいものから挙げれば、複数キャンパスに散らばっている施設設備のメンテナンスだ。合計約70万m2の広大な土地(東京のディズニーランドは約51万m2)。 加えてキャンパス移転に伴い新築される延べ床面積4万m2越えの複数建物群の設計だった(東京国際フォーラムも約4万m2)。 タケシは、いわば東京ディズニーランドよりも広大な施設で起こるトラブルに日々対応しながら、東京国際フォーラムの新

        • 10. 大学職員の労働環境

          タケシがQ大学を退職する3年前。 タケシはQ大の”施設部”という部署に異動した。 タケシ30歳。 やっと希望の部署に配属された。 当時、Q大は福岡の比較的街中にあるキャンパスから、少し離れた土地にキャンパスを移転している最中だった。 それに伴い、多くの建物が新設、改修されていた。 その建物の設計から工事の現場管理、メンテナンスまで一貫して担当する部署、それがタケシ配属先である”Q大施設部”であった。 タケシはそこで、大学施設の設計がしたかった。そのために民間企業から転職した

          9.やりたかった仕事をやれて、いま思うこと。

          やりたかった仕事を担当するようになって3年。 タケシは33歳になっていた。 タケシはいま、自宅で引越しの準備をしている。 次の職場の近くに引っ越すために。 タケシは、Q大学を辞めたのだ。 Q大学の施設部に所属し、キャンパス移転にかかわって3年。 大学は辞めるが、気分は悪くはない。 大学という組織、ゼネコン業界、行政。異なる業界のことをたくさん学べた。 次の職場は、この経験がそのまま活かせる。 「かなり不安だけど、挑戦しよう。」 ダンボールだらけの部屋で、タケシは何度も

          9.やりたかった仕事をやれて、いま思うこと。

          8.大学でやりたい仕事をやるために

          Q大学の職員になって、3年。タケシはやっとやりたい仕事ができる機会に恵まれた。 「大学の施設を設計する仕事がしたい」 その希望を叶えるために、3年間、川島からのいじめに耐え続けた。 そしてタケシは4年目でやっと、その担当部署に配属されることになる。 当時、Q大学はキャンパスの移転中だった。 福岡の比較的街中にあるキャンパスから、少し離れた土地にキャンパスを移転している最中だった。 それに伴い、多くの建物が新設、改修されていた。 その建物の設計から工事の現場管理、メンテナ

          8.大学でやりたい仕事をやるために

          7. やりたい仕事を得るために支払ったもの

          朝から顔面の痙攣が止まらなかった。 原因はなんとなく想像はついた。 上司の川島が全く関係ないとは思えない。 出勤するも、説明してすぐに退勤。 病院で診察を受けても原因はよくわからなかった。 「Q大学病院で勤務していることが原因で他の病院に行くなんて笑えるな。」そう思った。 「もう、休もう。」 その日と翌日、タケシは仕事を休んだ。 Q大に転職して3年が経っていた。 タケシはもう30歳になっていた。 「大学の建物を設計したい。」そう意気込んで転職した。 しかし、これまでやって

          7. やりたい仕事を得るために支払ったもの

          6.転職してまでやりたかったこと

          上司の川島慎一から毎日いじめられながらも、タケシがQ大を辞めなかったのには理由がある。 やりたいことがあったからだ。 それをやることが、転職理由のひとつでもあった。 それはキャンパス移転にかかわること。 当時、Q大はキャンパスの移転中だった。 福岡の比較的街中にあるキャンパスから、少し離れた土地にキャンパスを移転している最中だった。 それに伴い、多くの建物が新設、改修されていた。 一度建った建物は何十年も残る。 タケシが設計した証が、何十年も残り続ける。 そんな仕事がした

          6.転職してまでやりたかったこと

          5.Q大学の川島王国

          タケシ(当時27歳)は毎日、上司の川島慎一からいじめられていた。 関西出身の川島はきつい関西弁だ。 その川島から、タケシは毎日のように「君の転職は失敗だった」と言われ続けた。 あるときは、事務所にあるコーヒー用の砂糖が切れていることに激怒した川島に長時間叱責されたこともあった。 異常な事態が続いた理由の一つに、タケシが所属していた部署の立地がある。 Q大学病院キャンパス敷地内の外れに、ポツンと建つコンクリート打ちっぱなしの古びた2階建ての建物。 そこにはタケシが所属する部

          5.Q大学の川島王国

          4.大学職員とアルコール

          タケシにはもう一つ、苦しいことがあった。 同期の田中 拓也の存在だ。 拓也はタケシより仕事ができた。 3年間、民間企業で働いた上で転職したタケシと違い、拓也は新卒で入職した3歳年下の同期だ。 にもかかわらず、伝票処理もタケシより抜けなくスムーズだった。 またタケシは困ったらすぐに人に聞く方だったが、まずは拓也は自分で解決しようという姿勢があった。 当然、上司の評価も拓也の方が高かった。 タケシは辛かった。自分が情けなかった。 上司からの執拗ないじめに加えて、自分より仕事

          4.大学職員とアルコール

          【作成中】13.アルコール依存症の治療へ

          作成中です。

          【作成中】13.アルコール依存症の治療へ

          【作成中】終話.決着:これまでとこれから

          作成中です。これで最終話の予定です。

          【作成中】終話.決着:これまでとこれから

          【作成中】15.葛藤:Q大のフラッシュバック

          作成中です。

          【作成中】15.葛藤:Q大のフラッシュバック

          【作成中】14.再起:公務員から民間企業へ

          作成中です。

          【作成中】14.再起:公務員から民間企業へ

          【作成中】13.前向きな人生へ

          作成中です。

          【作成中】13.前向きな人生へ

          【作成中12.転機:ユートピアへ

          作成中です。

          【作成中12.転機:ユートピアへ