バニラママ🤱
ロクでもない地域で育ったことが、なにか自分の背骨になっている気がする。いや、悪ぶりたいだけなのかもしれないし、それは何か根本的にダサい振る舞いなのかもしれないが、構わないのだ。ボンボンが悪ぶってんじゃねえよ、と心の中の永野が吠えている。上等だ。上には上がいて、下には下がいて、そのマウントを取り合っていたら人生が終わってしまう。かかってこいよ!
愛すべきレペゼン大田区から、とっておきのフィメールフレンドとそのソウルメイトの話をしよう。彼女を仮にAと呼ぶ。Aはいま、新宿の雑居ビルで「輸入業」を営む会社に務めている。見た目はわかりやすくギャルといったところで、バンドの追っかけみたいなことをやっている。ボードゲームの得点計算も投げ出してしまうような彼女に「輸入業」が務まるのかよくわからないのだが、この会社の社長が新宿2丁目にバーを持っていて、一時期よく遊びに行った。
社長は周囲から「バニラママ」と呼ばれていて、呂律が怪しいが声は大きく、足腰が悪いので杖をつきながら新宿をウロウロしている。いつも、2丁目の路地の端の端を深く入って行ったところからヌッと現れる。遠くから見てもわかる、ヘンな色味の服を纏ってヨタヨタ近づいてくる。Aはそんなバニラママをすごく尊敬していて、彼の家賃を払ったり、お風呂に入れたら、生活の世話全般を見て、いつも甲斐甲斐しくお世話をしている。Aの生活は豊かではないどころか、今日明日を生き延びるのが精一杯という様子だが、雇用者であるバニラママとの関係は良好だ。
バニラママのバーは、普段は入口をシャッターで閉じているが、僕たちが訪ねる時だけ特別に開けてくれる。シャッターの奥には階段が続いていて、登り切ると八畳くらいのワンルームにカラオケがついているこじんまりした空間が現れる。そこで、バニラママを囲みながら、僕たちはワイワイやる。当時はコロナ真っ盛りで、新宿を自警団が徘徊していたから、シャッターは閉じたままでコッソリ夜を明かしたものだ。
バニラママは、僕たちに武勇伝を語るのが好きだ。中学生の時にバット一本で暴力団に乗り込み、壊滅に追い込んだ話。高校の時、東京大学理科三類に合格したが、日本の教育に絶望してハーバードに進学した話。脳死状態になって葬式に出されたが、火葬の直前になって蘇生し棺桶を突き破って復活した話。新宿のヤクザの抗争に身一つで間に入って講和に導いた話。某大手漫画喫茶のテーマソングを作曲した話。蒲田の大部分を所有している話。IQ200を超えて、メンサの会員である話。
Aはそんなバニラママを眺めながらタバコを吸っていて、たまに誇らしそうに相槌を打つ。「これ全部ほんとだから。この人嘘つけない人だから」と、僕たちに語りかける。バニラママはハーバード大卒の医学博士で、日本の暴力団組織を一人で壊滅させ、新宿の裏社会を牛耳っている、IQ200超えの天才である。
バニラママはとにかくよく話す。夜9時に集まって、朝4時になっても同じ武勇伝を延々と語って聞かせてくる。僕たちはその頃には、夢と現実の境界もわからなくなってウトウトと船を漕ぎ、Aは得意げにそれを眺めている。バニラママはまだまだマシンガンのように語り続ける。「Aはバカだから、俺の言ってることがわかんねえんだよ。Sotaはわかるだろ?」と僕の目をじっと見つめてくる。バニラママは、話は破天荒だけどちっとも人を嫌な気持ちにさせない。
Aの友達は、みんなバニラママを慕っている。バニラママはみんなの名前も家族構成も誕生日も好きなものも覚えていて、何かを準備して待ってくれている。Aがいつも、友達の話を語って聞かせているのだろう。この前、Aと仲の良い友人が正月にAの実家を訪ねたら、なんとバニラママがA一家の中心に堂々と座っていて腰が抜けたそうだ。もはや、家長の風格さえ漂っている。
僕もAもロクな育ちをしていない。父親は家にいなかったし、家族との関係は良いとは言えない。それでも、Aには今バニラママが居てくれて、バニラママがどんな怪しい人でも、きっとAを裏切ったり傷つけたりするような嘘はつかないだろうと、なんとなく思っている。世の中には説明しきれない繋がりと人間関係がたくさんあって、絶妙なバランスを綱渡しながら日常がかろうじて続いている。僕にそれを侵害する権利もなければ、Aに何か囁く人に耳を貸す義務もない。
僕たちはロクでもない所で育った子供だから、人生で一番得るのが難しいものは「安心」だということを、よく知っている。だから、自分の名前を呼んでくれる誰かが、武勇伝を語って聞かせてくれる誰かが、友達に合わせたいような誰かが人生に現れて良かったと、10代の彼女を知っている僕は心の底から思う。バニラママとAは喧嘩ばかりしているけれど、それはさながら仲の良い「親子」を見ているようで、僕はなんとなく言葉に窮してしまう。
Aは昨日29歳になった。誕生日おめでとう!とLINEグループが賑わう中で、僕は久しく顔を合わせていないバニラママの様子を尋ねてみた。
「バニラママ元気?」と聞いてみると、Aは「まぁまぁ元気よー」と、なんとも間の抜けた返事を寄越した。僕は「今度久しぶりに会いに行こうかな」と送りかけて、やっぱりやめて、代わりに今この記事を書いている。30手前になって、僕たちは、人生よくやってるほうじゃないかと思う。
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