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深夜のオーストラリア長距離バス

こんなことを覚えている。

僕は長距離バスの乗客だ。時は1995年。深夜に広大なオーストラリアのハイウェイを走るグレイハウンドの窓際の席に座っている。なかなか眠れないので、窓の外を通り過ぎる真っ暗な景色を眺めながら、小沢健二の「LIFE」が入ったカセットテープをウォークマンで聞いている。どんなヘッドホンを使っていたかは忘れてしまった。

さっきはバスの中でひと悶着あった。僕の隣に座っていた中年の男性がシートのリクライニングを倒そうとしたところ、その後ろの席に座っていた人が、倒さないようにお願いしたのだ。理由は脚が悪く自由な体勢がとれないので、シートが倒れてくると当たる、ということだった。そこで少しいざこざがあり、最終的にシートを倒そうとした方が(ややガラの悪い感じ)、後ろの席の脚の悪い人とその家族に対して「こっちはシートを倒す権利がある。倒されて困るなら、そっちが席を移動しろ」という発言をして、後ろの人たちが「え、そんなひどいこと言うんだ。信じられない」という反応を見せて、これ以上口論しても無駄だ、という感じで終了した。

その悶着のおかげで僕も含めて周りの雰囲気がかなり悪くなったまま、バスは途中休憩のサービスエリアに停まった。トイレ休憩だ。次はいつ休憩があるかわからないので、眠いが(でも眠れないのだが)、疲れて凝り固まった身体を無理やり動かして、バスの外に出て用を済ませる。外は少し寒い。冬が終わり、春になりつつあるところだが、まだ夜は寒い。僕は冬の間働いていた Thredbo というスキー場を離れて、あてどもなくオーストラリアを北上しているところだ。まだ少し時間があるので、売店でコーヒーとドーナツを買って、近くにあったテーブルで立ったままそれを食べ、またバスに乗り込む。時間は深夜2時を回っている。

再び走り出したバスではまた小沢健二を聴く。今度はファーストアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」だ。手持ちのカセットテープは少ない。一度は別れた恋人が日本から送ってくれた、その大切なカセットテープを大事に、繰り返し繰り返し聴く。アルバムの最後の曲で、こんなフレーズが聴こえてくる。

遠く遠く つながれてる 君や僕の生活
(「ローラースケート・パーク」)

深夜にオーストラリアの広野を走るグレイハウンドの窓から外の景色をぼんやりと眺めながら、僕は遠く日本で眠りについている彼女のことを想う。

メモ:これは「書けるひとになる! 魂の文章術」(N・ゴールドバーグ)を読んで文章を書く練習の一環で書いたもの。「こんなことを覚えている」という書き出しで書いてみよう、という練習だ。

Photo by Sebastian Davenport-Handley on Unsplash

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