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教養を磨く 田坂広志

第一部 哲学の究極の問い
知性とは「答えのない問い」を問う力だからである。
答えが得られぬとわかっていて、なお、永遠の問いを問い続ける力だからである。もし、我々が、真に「教養」をみにつけ「哲学」を学びたいと思うならば、まずなによりも、その知性こそ、身につかなければならない。
愚者は、経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
一方、近年の科学技術の急激な発達がもたらす現実を見ていると、こうした社会科学的な視点、人類社会の過去の経験に学べば、その未来が予見できる、という思想が、現実の変化に追いつけず、大きな限界に突き当たっていることを感じる。
人間関係の問題を真に解決するために求められるのは、やはり、人間の心のエゴに処する力であり、それは、究極、2つの力である。第一は、相手のエゴに処する力であるが、その力を身につけるためには、まず相手のエゴの思いや叫びを理解する力を身につけなければならない。なぜなら、人間関係が壊れるのは、ほとんどの場合「自分のエゴの視点」を「正しい基準」であると思い込み、相手の言動を「間違っている」と批判し、批判し、ときに、嫌悪する状況に陥ってしまうからである。
…しかし人間関係の問題を真に超えていくためには、この第一の力だけでは、不十分である。それが第二の力、自分のエゴに処する力であり、この力を我々を身につけていななければならない。
私淑(ししゅく)。自分が身につけたい能力や才能を持っている優れた人物を、心の中で、この人が自分の師匠だ、と思い定め、その人物から大切な技術や心得を学ぼうとすることである。「似てくる」のである。自分の中から、その人物に似た「性格」や「人格」が引き出されてくると言っても良い。
職業的能力、書物で学べる専門的知識ではなく、経験を通じてしか掴めない職業的智恵」のことであるがこの能力を身につけていくためには、まず、スキルやテクニックを身につけ、加えて、ハートやマインド(心得・心構え)と呼ばれるものを身につけ、磨いていかなければならない。
対人的能力、中核はコミュニケーション能力であるが、特に言葉以外のまなざしや表情、仕草や姿勢、空気や雰囲気などを通じてメッセージ交換を行う非言語的コミュニケーション力を磨いていかなければならない。
人間力。
塞翁が馬。人生の幸運と不幸は人智では分からない、との教えでもある。
幸運は、不運の姿をしてやってくる。
卒業しない試験は、追いかけてくる。
想い言葉を語るとき、自分に人間としての「重量感」と「精神の力」が無ければ、その言葉は相手に届かず、相手の心に響かない。自分の「体験」を通じて掴んだ言葉。言葉の重みとは、体験の重みなのである。言葉を語るとき、大切なのは、何を語るかではない。誰が語るかである。

第二部 科学と宗教の対立を超えて
人間、自分に本当の自信がなければ、謙虚になれない。
人間、本当の強さを身につけていないと、感謝が出来ないのですよ。
自分より若い人や立場の弱い人に対しても、決しておごらず、謙虚に処することを心がけていると、自然に、心の深い所に「静かな自信」が芽生えてくる。また誰かとのトラブルが起こった時、その相手や出来事に対して、あぁこの出会いも、出来事も、自分の成長に必要な何かを教えてくれている。ありがたい。と心の中で感謝することを心がけていると、自然に、心の深いところに静かな強さが生まれてくる。

第三部「戦略的反射神経」の時代
マネジメント能力 心のマネジメント これからの時代、マネジメントに携わる人間は、コーチング能力やカウンセリング的能力を身につけ、磨いていかなければならない。
ホスタピリティ 顧客の無言の声に耳を傾け、相手の気持ちを察し、細やかに対応すす高度な能力に基づく、きわめて高度な能力に基づく、きわめて洗礼されたホスピタリティ能力である。
ファシリテーション能力 人間集団の中にあって、その集団の集合知を活性化させ、その集団から新たなアイデアやコンセプトが生まれてくることを促せる能力
人材立国のビジョンに他ならない。
他者への嫌悪の感情は、しばしば、自己嫌悪の投影である。
自分の中にある欠点を許さないと、同様の欠点をもつ相手を許せない。
自分を愛せない人間は、他人を愛せない。
人工知能技術(AI)の本質は、「知能拡張技術(IA)」に他ならない
すべては、自分に原因がある。
すべてを自分自身の責任として、引き受ける。
エゴがあると、自分は悪くない、私は間違っていないと叫び続けてしまう。

第四部「フォース」を使う技法
新しい資本主義とは、その経済原理として、マネタリー経済とボランタリー経済が融合したものを基盤とする資本主義であり、経済活動としては利益追求活動と社会貢献活動が融合したものを基本とする資本主義である。
企業は、本業を通じて社会に貢献する
利益とは、社会に貢献したことの証である。
企業が多くの利益を得たという事は、その利益を使って、さらなる社会貢献せよとの、世の声である。
すなわち、欧米型経営では、利益追求と社会貢献を二項対立的に捉えるのに対して、日本型経営では、その二つは、本来、一つであった。
マネジメントにおいては、こうした「言葉の怖さ」と「心の機敏」を深く理解してメッセージを語る必要があるが、心の機敏という意味では、この褒めるということには、もうひとつ、大きな落とし穴がある。エゴを助長してしまうという事である。
自分が語ることを自分自身が、誰よりも、深く信じていること。

第五部「ポジティズム」の時代
ポジティヒズム(積極主義)はオプティミズム(楽観主義)とは違うものです。例えば、サッカーの試合において、観客として、自分の好きなチームが勝つだろうと思うのは、楽観主義ですが、積極主義とは、自分がそのチームの選手として、いま負けていても、必ず勝てると信じ、力を尽くすことなのです。

第六部「神の技術」がもたらすもの
複雑な物には、生命が宿る。
すなわち、市場や社会や国家というシステムが、内部での相互関連性を高め、高度に複雑になっていくと、創発や自己組織化と呼ばれる性質を強めていくため、あたかも意志を持った生き物のような挙動を示し始める。
不思議なことに、直観というものは、退路が断たれ、追い詰められた状況において、閃くことが多い。
何が自分にとって本当の利益となるのか、何が本当に自分の幸福につながるのかを正しく理解する知性が欠如していると言える。
日本においては、困った時にはお互い様の助け合う文化があった。
情けは人のためにならず。他人を助けることが、自分の為にもなる。
面接で「前職で、人間関係で嫌なことはなかったですか?」と水を向けても「ええ、やはりいろいろなことがありましたが、そのおかげで、自分自身の至らぬ点にも気がつき、少しは成長することが出来ました。」といった答えをのべる。卒業しない試験は追いかけてくる。
こだわるべき細部と、こだわらなくてもよい細部を、見分ける力

第七部 思想を紡ぎ出す読書

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