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平成はなぜ失敗したのか 野口悠紀雄

第一章 日本人は、バブル崩壊に気が付かなかった
平成に先立つ1980年代は、世界経済における日本の地位が著しく高まった時代です。GDPはアメリカに次ぐ2位の経済大国となった。1986年第一不動産がニューヨークのティファニービルを記録的な高値で購入。89年には、三菱地所がロックフェラーセンターを買収。ジャパンマネーが土地を買いあさった。87年に成立した「リゾート法」がリゾート熱をあおり、開発ラッシュに拍車をかけた。土地の値上がりも株価の上昇も、バブルに過ぎなかった。この時代の経済力をもってすれば、日本人はもっと豊かな生活を実現できたはずです。しかしバブルによって資源配分がゆがんだため、それが実現せずに終わりました。
90年(平成2年)が転換の年だった。
日本人は変化に気が付かなかった。日本長期信用銀行の破綻に大きな影響を与えたとされる大規模リゾート施設初島クラブが着工したのは91年。そしてオープンしたのが94年。ジュリアナ東京がオープンしたのは株価下落が始まってから1年半ちかくも経った91年5月。
日本は企業のビジネスモデルを根本から変えることが急務だったのです。しかし会社を改革するのではなく、逆にしゃぶりつくそうとする人々が残っていたのです。…なぜこのようなことが生じたのでしょうか?人々は組織は永遠に続くと思っていたからです。そしていくらでも存続できると考えていたからです。
日本経済はバブル崩壊だけでダメになったのではありません。背後には、世界経済の大きな変化がありました。それは、第二章で述べる新興国の工業化とIT革命です。
銀行が貸してくれないから設備投資ができなかったのではなく、企業が設備投資意欲を失ったのです。その結果、金利が低下したのです。つまり、原因は資金の貸し手側ではなく、借り手側にありました。

第二章 世界経済に大変化が起きていた
1980年代末、社会主義経済の行き詰まり。89年11月ベルリンの壁崩壊。91年12月ソ連崩壊。
新興工業国の内に最初に登場して1980年代に目覚ましい発展を遂げたのは、韓国、台湾、香港、シンガポールのアジアNIES。ただしこれらの国・地域は規模が小さいので、世界経済にあまり大きな影響を与えたわけではありません。
アメリカは80年代に脱工業化の家庭を経験しました。それは痛みを伴う苦難の過程です。ところが日本では、何も変わりませんでした。変わらなかったから、立ち遅れたのです。
製造業が垂直統合から水平分業へ
先進国が目指すべき道は、アップルのように、開発・研究や販売という付加価値が高い分野に特化し、新興国の製造業とすみわけの上で協業していくことです。さらに技術革新が相次ぐ先端サービスやITなど、先進国の企業が優位を発揮できる分野に特化してゆくことです。しかしどちらも、日本型大企業が不得意な分野でした。日本企業はそれらに対応することが出来なかったのです。
ドイツも環境変化に上手く対応できなかったのです。

第三章 90年代末の金融大崩壊
90年代末銀行の不良債権がつぎつぎに明らかにされ、金融機関の破綻が相次いだ。93年長銀(日本長期信用銀行)はEIEに対する支援を打ち切り、…唐山のことながら、融資の大半は焦げ付きました。
大蔵省に対する社会の信任は、完全に崩壊。バブル期における大蔵官僚のモラルは、それ以前の時期に比べて低下した。
第一は、有力な政治家さえ押さえておけば、政策は実行できる。その他はどうでもよい、という考え方。善人でも悪人でも、強い人を味方につければよい、というマキャベリズムは、昔から大蔵省にあったものです。しかし、社会全体の暗黙のサポートがあったからこそ、それでよかったのです。社会的信任が崩壊すれば、いかに強力な政治家がバックアップしてくれたところで、どうにもなりません。その当然のことを大蔵省は、この時に思い知らされたのです。
第二は、暗黙のサポートを獲得するには、道徳的な潔癖性だけでなく、理論的な正しさが不可欠であるにも関わらず、それが不十分だったことです。伝統的な大蔵省では、そこまでやる必要ないだろう、というほどの厳密な論理的なツメが行われました。しかし、不良債権処理の時の大蔵省では、それが弱くなりました。このときからすでに20年以上が経っています。問題は、それに代わる新しいシステムが構築されていないことです。日本の統治機構は、明らかに劣化しています。
1997年山一破綻。巨額の簿外損失を知らされずに社長に就任した野沢社長。
すべての元凶は営業特金です。
長銀 いくるもの受け皿会社を設立し、ここに不良債権を飛ばすことも行われた。98年3月に1766億円の投入を受けて生き延びました。当時から、これは長銀をはじめとする実質破綻銀行の延命策であると言われていました。火事場での消化方法の議論をしている、と言われているほど混迷につぐ、混迷。実質2700億円の債務超過が認定。国民が負った膨大な負担は正確に認識されていない。公的資金の投入で10兆円の国民負担。国民一人当たりにしたら約8万円。5人家族だと40万円。無税償却で法人税が39兆円減少。①家計当り平均193万円の負担。これだけの額を、銀行の放漫融資のしりぬぐいのために納税者が負担させられていた。他方では得をしたひとがいます。銀行から融資を受けて返済しなかった企業です。
不良債権処理を助けたことで、大部分の銀行は生き延びました。日本の金融システムは大混乱に陥ることなく、維持されました。もし大規模な混乱が起きていたら、別の形でコストが発生したかもしれず、それは右で述べた現実の額よりも大きくなった可能性もあります。しかし、金融システム安定化のために納税者が支払ったコストは、とてもつもなく大きなものだったのです。…われわれはバブルの教訓をくみ取っておらず、日本の金融機関の基本的な体質は変わっていないからです。
日本人は、歴史認識を試されていたのです。そして、ただしい歴史認識を持った人はいませんでした。少なくとも企業のビジネスモデルを根本から転換させるような力にはなれませんでした。
2018年秋は、山一・長銀。日債銀破綻から約20年目。
日本社会が世界経済の大きな変化に対応できなかった原因は、組織に対する無定量の依存心、組織の絶対性への信仰にあった。
日本の場合、国家が崩壊することはありませんでしたが、最後は、誰かに責任を押し付けることで処理が図られたのです。そうすることによって延命した日本社会は、不条理な社会だと考えざるをえません。

第四章 2000年代の偽りの回復で改革が遠のく
2003年大規模為替介入が開始された。
1ドル100円を超える円高を阻止するというのが、介入の目的だった。
04年4月に終了するまでの介入累積額は35.2兆円。
円安は麻薬。円安で日本の輸出産業の採算がよくなり、工場が日本に回帰するという現象をみたとき、これは間違った経営判断であり、時代の要請に技逆行していると感じました。こうした企業の判断が奇妙にかんじられ、経営トップを含めた日本の企業人は、世界経済の大きな潮流を理解していないのではないか、という懸念を持った。
衰退の本当の理由を追求せず、円安を求めるというその場しのぎの考え方が一般的になってしまったことに、私は強い違和感を抱きました。
にほんのせいぞうぎょうから 創造的側面が消えたことで、コモディティしか作れなくなった。
日本の留学生、中国韓国からの留学生は増えているのに、日本はもはやその他の統計部類に。

第五章 アメリカ住宅バブルとリーマンショック
08年リーマンショック
投資銀行モデルの終焉
アメリカは深刻な金融危機をごく短期間で処理することに成功。5年後の13年末にはほぼ払しょくされた。
金融危機は驚くほど早くに収束し、アメリカ経済は急回復しました。それは古い製造業に依存しなかったからです。深い傷を負ったのは、古い産業構造を温存した日本でした。

第六章 崩壊した日本の輸出立国モデル
異常な円安に助けられて、輸出関連企業の収益が増加しただけのことでした。輸出が激減したにも関わらず、日本ではまだ楽観論が支配的でした。
政府に依存するようになった製造業。

第七章 民主党内閣と東日本大震災
東日本 日本は偶然によって生き延びた。2号機の爆発がなぜ食い止められたかは、今に至るまではっきりと分からないですが、偶然としか思えません。
大震災まで2007年頃までは、日本の貿易収支黒字は年間10兆円の水準でした。08、09年には4兆円程度に縮小しました。
貿易収支の黒字がこのように減少したのは、震災によってサプライチェーンが損壊し、自動車生産が落ちこみ、輸出が落ち込んだこと。第二は、輸入が増えたこと。特にLNGの輸入額の伸びが顕著でした。発電の火力シフトによってLNGなどの発電用燃料の輸入量が増え、それに加えて価格が上昇したことによるものです。
日本では伝統的に輸出振興と貿易立国が同義と考えられてきました。そして輸出促進のために円安が必要と考えられてきました。しかし、輸入によって豊かな国民生活を実現することも、貿易立国のひとつの姿です。
貿易収支の黒字が減少して、赤字が恒常化すれば、円高によって利益を受ける人ががそれによって損失を被る人より多くなります。つまり、国全体としても、円高が望まれることになります。しかし、そうした認識は一般化しませんでした。
投資立国への転換が必要。
長期的に見ても、日本の輸出立国は不可能になります。
すでに蓄積した資産の運用によって、輸入を賄うことができる。日本が巨額の対外資産を保有し、そこから巨額の所得収支の黒字が実現していることを考えれば、貿易収支の黒字に固執する必然性は薄れていきます。この点において日本人は考えを大きく転換する必要があります。そうした段階の日本にとって、対外資産の運用利回りを向上させることは、輸出を増大させることより重要な課題なのです。対外資産の運用を適切に行えるような金融技術を地区生起するk十が重要であり、今後の日本は投資立国を目指すべきなのです。

第八章 アベノミクスと異次元金融緩和は何をもたらしたか
誤解の原因はマネタリーベースとマネーストックの混同です。マネーストックとは経済に流通するお金の残高であり、マネタリーベースとは、いわばお金のもとです。マネーストックは増えなかった。
金融政策で引くことはできますが、押すことはできません。したがってマネタリーベースを増やしても、借入需要がない経済では、マネーストックは増えないのです。
私は、日銀のいう事とは逆に、物価を下げて実質消費を増やすことが必要だと考えています。
簡単に言えば、異次元金融緩和政策は失敗したのです。
日本の場合、物価は為替レートと原油価格で、ほとんど決まってしまうのです。すでに述べたように、金融政策が効果を発揮するためには、マネーストックが変化しなければなりません。…マネーストックが変化しなければ、話になりません。
円安は日本の金融緩和によって実現したのではなく、ヨーロッパにおけるユーロ機器が終息したために起こったことです。
金融緩和政策が効かないのは、資金需要がないため。
物価上昇目標は撤廃して、実質賃金上昇率を目標とすべき。
金利が上昇すると、財政が破綻する。
トップは、部下の信頼を獲得することです。この人についていけば間違いないという信頼。その人に評価してもらいたい、という願望。そのためには何を犠牲にしても良いというほどの信頼です。

第九章 日本が将来に向かってなすべきこと
デフレのためでなく、変化に対応しなかったために衰退した。
日本が直面する3つの課題①人口の高齢化にもたらされる問題に対処すること。②変化する世界の条件、とくに中国の急速な成長に対処すること③改革の遅れを取り戻すこと。とりわけ、企業のビジネスモデルを転換させ、生産性の高い新しい産業を作り出すこと。
社会保障費増大にいかに対処するか
中国のGDPはすでに日本を上回っており、現在、世界2位の経済大国です。日本の貿易相手国としても、ちゅごくはいまや世界最大です。
中国IT産業を支配しているバイドゥ、アリババ、テンセントは頭文字をとってBATと呼ばれています。
2040年代には中国が世界一の経済大国に。
新しい産業の登場がカギ。
従来の企業とは異なる組織文化を持ち、イノベーションを先導したのです。
その場しのぎの弥縫策が行きついた先が、現在の状況です。我々は今、日本経済の置かれた状況を直視し、目先の状況を変えることではなく、基本的な構造の改革を考えなければなりません。先進国が高度なサービス業を中心に成長する中で、日本は立ち遅れています。政府の成長戦略に見られる製造業復活路線を捨て、サービス業の生産性を高めることが急務です。
新しい産業は、市場における競争を通じて誕生します。様々な試みがなされ、生き残ったものが、日本企業の主力産業になるのです。
過去の遅れを取り戻せないのは、既得権益集団が足を引っ張るから。
ただ生きているだけでは意味がありません。健康な身体を維持し、なすべき課題を持っていることが大事です。

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