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安息日

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神の聖なる日―1 忘れられた歴史のひと幕①  宗教改革の不徹底

宗教改革の不徹底16世紀の宗教改革が、トレント公会議(1548~1563)によって、カトリック教会側から断罪されたのは、プロテスタント側に存在していた、明らかな矛盾のゆえでした。本来、宗教改革者たちが、カトリック教会を批判した内容は、カトリックの教えが、聖書のみ言葉から離れ背教しているということでした。「書き記されたみ言葉」「聖書、ひたすら聖書のみ」、「書かれた神のみ言葉の通りに」などは、彼らのスローガンであって、「書き記された聖書のみ言葉を信仰と行為の唯一の基準とするように

神の聖なる日-2 礼拝の日と人類の歴史の始まり

それはいつ、どこで、どのように始まりましたか?「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1)。偉大な神様は、地球を創造され、地上を美の衣で覆い、陸地や海のすべての生き物を創造し、人間にとって有用なすべてのもので満たされました。そして、創造の六日目の最後に、神様は人間を創造され、創造のわざを終えられました。神様は、ご自身のみ手によって成し遂げられたみ業をご覧になって、満足されました。「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった

神の聖なる日―3 イエス様が守られた礼拝日

イエス様はどの日を守っておられたのか?「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように(according to his custom, 自分の習慣の通り)会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた」(ルカによる福音書4:16)  キリストが捧げられた礼拝は、安息日に教会へ出席されることでした。もし、彼の大工の仕事場に私たちが行ってみることができたら、間違いなく、土曜日は、“安息日のためお休み”と書かれた立札が見られることでしょう。ある人たちは、「イエス様はユ

神の聖なる日-4 神の宮で太陽を拝むだろうか?

太陽崇拝と日曜礼拝の起源 聖書の十戒にある安息日が、現在の土曜日であることを確認し、その安息日を聖日として守ろうとすると、ではどうして古代ローマで行われていた太陽礼拝の象徴であった日曜礼拝が、今日までキリスト教の礼拝日と考えられているのか、疑問が起きてくることでしょう。 またある人たちは、律法は廃されたのだから、クリスチャンはどの日に礼拝をしてもいいはずだと思っているかもしれません。しかし神様は、本当にどの日も関係なく礼拝を受け入れて下さるのでしょうか?  礼拝は、捧げるこ

神の聖なる日-5 安息日と救い(安息日を守らないと救われませんか?)

囲いを好む羊 羊は、羊飼いがめぐらした木の囲いの中にいる事を好みます。なぜなら、そこが自分にとって一番安全な場所だからです。羊は自分を閉じ込めた囲いに対して不平を言うより、むしろ自由を味わい喜んでいるようです。 私たちクリスチャンも同じように、自分の心と生活を安全に守ってくれる垣根である律法や戒めを、絶対に煩わしいとは思いません。「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない」(ヨハネの第ーの手紙5:3)というみ言葉の通りです。

神の聖なる日-6 律法主義と安息日 (安息日と律法主義に対する誤解)

人のための安息日 安息日に関する現代キリスト教会の最も大きな誤解点は、安息日はユダヤ人の聖日で、日曜日はクリスチャンの聖日であるという考えです。しかし、安息日は創造と同時に制定されたもので、人類の始祖アダムの時から存続している制度です。人類が罪を犯したから付け加えられたものではなく、ユダヤ人だけのために与えられたものでもないのです。十戒は、時代を越えて、民族の枠組みを超えて、全人類がどのような時でも守るべき生き方の原則を示したもので、十戒の適用を、ある時代や民族に限定してしま

神の聖なる日-7

古い契約の意味 ある日、教会で説教を終えた後、皆さんとあいさつを交わすため入り口の方に向かって歩き出していたら、急に3人の青年が前に私の前にやってきました。そのうちの一人が、私に大きな声で尋ねました。「先生、今日の説教では十戒に対する従順を強調しておられましたが、まるで私たちが、古い戒めの下におかれているかのように話しておられました。私たちは今、新しい戒めの時代に生きているのではないでしょうか?」 青年は、十戒は古い戒めで、それは十字架上で廃されたものであるから、恵みの下に生