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sosoの素(92)

気が疲れる 後編

お会いする方みなさんいい方でそれでいて僕に対して少しの期待を持ってくれている。その気持ちを汲み取りながらその思いが上手に成就するように相手のリズムやテンポに合わせて同調しながら話してく。
僕の感覚で言うと、相手の心の中に自分を流し込んでいき、緊張や不安からくるノイズのようなものを整えたり、よい波長のものをよりよく感じてもらってその方の心地よい状態になれるようにする感じ。その感覚が整体師さんが体の不調な部分に「気」を送ることで整えるのと似てるのかも思ったんだと思う。
お会いする方がいい人ばかりなのでよりそんなことができればと気持ちを込めよう思っちゃう。これが嫌な人や合わない人だと波長を合わす必要がないし、関わらないようにさえずればいいから今回感じた疲れみたいなものは逆に感じないのかもしれない。

僕は日々心地よくありたいと思ってる。それは今までも何度も書いてきてるし、これからも変わらずそうありたいと思うだろう。
それはなんなのかと考えると自分の気持ちが落ち着いて穏やかであること。
もしも「気」と言うものが存在していてそれが僕らの体の中を空気の様に漂ってるならば強風や暴風や無風ではなく、絶えず心地よい風がそよいでいてほしい。

今回、2ヶ月以上いつもと違うリズムのやり取りを続けていたり、もらい事故のような出来事で振り回されたりしていてずっと「気」を使っていた。
心のどこかで疲れたなーとは思っていたけどバタバタしていたからだとしか思っていなかったし、どんな状態でも自分の心は穏やかに居れると過信していた部分もあった。
そんなこんなが地味に「気」を使って自分では気づかないうちにそれらが濁ったり減ったり乱れてちょっとのことでは回復できないくらい疲弊していたんだと思う。
そこにきて東京出張。楽しいけど普段以上の「気」のやりとりをして濃厚な3日間が過ぎていき、翌日の納品が終わったあと自分の中にあったであろう「気」がすっからかんになって鬱に近い状態になり、このままでは自分がこわれてしまう、無理な状態にになってしまった。
そのことに気がついてから、半日工房で地味な作業を黙々と一人でやっていた。最初はなかなか集中できなかったけど最後にはあまり何も考えずにボーと作業をしていたらあれだけ乱れていた「気」が少しずつだけど整っていた。
その時、本当に大変な日々を過ごしていたんだと気がついたのと日常が戻ってきたと思えた。
もらい事故みたいなものも丁寧に対応して誰にも迷惑をかけず僕の手が離れたこと、2ヶ月以上続いたことも一区切りついたタイミングだったのも整ったと思えた要因だとは思う。

これまで気持ちや心という言い方で表現してきたものの中に「気」という区分けもあるんじゃないかと思えた。
繰り返しちゃうけど、スピリチュアルなことに期待して心酔してるわけじゃないけど、「気」と言う考え方を使ってみるとモヤモヤやイライラの原因や気持ちの疲れ方の種類がわかると対応の仕方もかわるかもしれない。

楽しいことも辛いことも大変なことも楽なこともほどほどが一番なんだよね、やっぱり。

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