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sosoの素(48)

登校日記 その8

サッカーも無事に入団でき、それから学校も付き添いは必要だけど嫌がってぐずることがなくなった。校外学習やプールが初めてある時などいつもと違うことがあると不安がやってきて嫌だなーて空気を出すから自分の口で言わないとわからないから教えてというと学校の中までついてきてほしいと言えるようになり、スムーズにいけなくてもほんのちょっとだけ時間を使えば気持ちが切り替わるようになってきた。

付き添いを始めた頃、困ったなーて気持ちを紛らわすかの様に僕らにとっては一生の思い出になって事あるごとに学校にスムーズに行けなかったねなんて言いそうだねと話していた。子供のころ大人っていつも同じ話をしてて、そのたびにまた?と思っていたけどきっとこんな感じで大人にとっては大変だったんだろうなとか思うわけ。
世話をしていた側は大変だから忘れなれないけどしてもらってた側は案外覚えてないもんだもんだもんなーと思う。だからきっと息子も大して覚えてないだろうなー、こっちはこんなに苦労してるんだから大きくなったらあの時は本当に辛くて毎日付き添ってくれてありがとうなんて感謝を述べてほしいもんだよとも思ったのだけど、待てよ、このことは本人の記憶に深く残ってはいけないことなんだと気付き、ハッとした。

もしも僕らが叩きながらでも無理学校にやり連れていってたとしたら息子の心の傷になり、大きくなってからあの時は辛かったとボソッと言うかもしれない。大きくなってしまって過去の思い出となってればいいのかもしれないけど、それがトラウマになって大人になっても引きずることだってなきにしもあらず。できる限り小さい時の苦しみは親からは与えたくない。
お出かけとかも親の立場でみればこんなことに興味があるからあそこに連れて行ってあげようなどと子供のことを色々考えて連れていくけど、子供の時の思い出として振り返るとたまにはどっかに連れて行ってくれたなー程で一番よかったのは?なんて聞かれてもあまり思い浮かばない。でももしもどこにも連れて行ってもらえなかったらうちの親はどこにも連れて行ってくれなかったと悲しい思い出が残っちゃう。
だから僕は毎日学校に付き添い、息子のためにとしていることが息子の思い出に残さないように日々を送っている。
優しさや愛はそのくらい繊細で些細でさりげないものなんだと教えてもらった。

4月の初め、毎日本当に糸口が見えず大変だった。息子が一番大変だったのは理解してるけど、僕らも同じくらい苦悩していた。
原因はなんなのか、なんとか助けてあげたい、息子だけ少しおかしいのか?早く楽しく学校に行かせてやりたい。そんなことばかり考えていたような気がする。GW前に一度しっかり怒って話をした以降はそんなことを徐々に考えなくなった。行けなくなっても晴れてる日があれば雨が降る時もある、そんな程度に考えることができるようになった。
雨が降れば止むまで待てばいいし、晴れてればそれを謳歌すればいい。

6月に入り付き添いはしてるものの、学校に行きたがらなくなることはなくなった。それを見送りながら嬉しいなーと喜んでる。
ただ一人で学校の中を歩いてるだけのことがなぜこんなに嬉しく心踊りご機嫌な気分になっちゃうんだろう。
息子を見送ってるある日ふと気がついた。
この嬉しいはピュアで単純な子供の様な感情だということを。

大人になると嬉しいと思ってもその嬉しいの周りにいろんなことがまとわりつく。いいの?申し訳ない、でも嬉しいみたいに。それが子供のことだと嬉しいは純粋に嬉しいという感情だけが噴火や爆発の様にやってきてその周りには嬉しい以外何もない純粋な嬉しさに包まれる。その逆も同じく、苦しいや悲しいもただただ苦しく悲しい。だから深くなりやすいし、なんとかしてやりたいけどそのやり方は大人の処世術のようにここを頑張れば明日は休みだとか帰ってからゲームをしようなど小手先でしかない、感情の周りに色々とまとわりつかせて根本の感情を見えなくしているだけで溢れ出る感情を抑えられるものではない。
だから寄り添って弱い部分が自立するまで気にかける。
そのくらいのことしかできない。
目が出たての若葉を見守るように。

中学生や高校生、大学生になれば子供達の感情はどんどん複雑になり、今感じている様な単純な感情を抱かなくなってしまうんだろう。
たかだた学校に行くということ、その中にこんなにたくさんのことが発見があって苦しくもあったけど純粋無垢で愛おしい体験をさせてくれたのもとてもよい時間だったと過ぎ去りそうな今だから振り返れる。
この年齢になっても子供のようなピュアな感覚で嬉しさを体験できたのも暴力や圧力で解決するのではなく、優しさと思いやりのよい結末なんだと少しだけ自分たちのことも褒めたくなった。

年老いてゆきちゃんと二人だけになってもこんな些細な出来事をたくさん思い出して懐かしがり、お茶でも飲みながら話せれたら幸せで、小さな若葉を見守ってよかったよかったとしみじみ感じるんだろうね。そんなことを考えてると老いてくことも楽しみになる。

そんな時間の積み重ねで人生は作られている。

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