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sosoの素(110)

言葉だけでは伝わらない

話せばわかる。
よく聞くセリフ。
なんとなくの印象や思い込みで決め付けてる時に話してみると意外と話が通じる!て時に出てくる。
僕らは自分の考えや気持ちを言葉に乗せて周りに伝える。
それが当たり前だし、何かあった時の最初の選択になる。

夏休み、子供と過ごす時間が多かった。小さい時はプールでもしとけばそれで結構満足してくれてたけど、年齢とともにそれでは満たされなくなってきてるのとコロナで自由に遊んどいでとも言い難いかったのも要因ではあった。大人も僕らは普段でもやることが多いのにそこに子供達の世話までやってきてやらなきゃ行けないことは進まず、子供への小言や世話ばかりが増えて気持ちの負担が大きくなるばかり。
何度叱っても約束しても全く伝わらない。あるあるですよね。

大人の頭の中で話せばなんでも伝わって全て解決できると勘違いしてしまってる傾向があるし、僕はその考えが強かった。

物事を全て理論化して自分の中で作った理屈をベースに相手の些細なミスに付け入ってそこでまた自分の理論を展開していく。
最後は問題を解決するってよりは自分の中の正義を貫けるかどうかみたいになって意地の張り合いみたいになっていく。
今でいう論破だろう。
そんな時の気持ちはなんで僕の言ってることをわかってくれないんだと駄々っ子のような状態になってしまってて、問題解決のために話していたのに声のでかい方、会話のうまい方、立場が上の人の話が中心になり相手が理解してるかどうかよりも言われたんだからわかったよねって既成事実にして終わってしまう。
子供と大人の関係で考えるとそのことが理解しやすい。

夏休みの話の時にも書いたけど少し前に、長く心配していたことがささっと綺麗に解決していった。その心配事に関しては騒がず焦らずやるべきことだけを迅速にしていた。そしてその全ての行動、考えがあってこその結果になって、僕の中で何か発見のような感覚を掴みかけていた。
これまでは自分の中で考えれる常識をベースに今できることを考えてそれを説得するような形で話していた。それ自体間違ってるわけではないけど、物事が動かない時は動かないだけの理由があってそれを無理やり力技で動かそうとすると歪みが必ず生まれる。
その歪み感覚的に感じてこのままでは自分の正しいが伝わらずにうやむやになってしまう、理解してもらえてないことが苦しくて自分の理論で固めて展開し、わかった?と強い圧のかかった言葉でまとめようとしたのかもしれない。そして展開すればするほど理解してもらえないことが気にかかりヒートアップしていっていた。

先日もゆきちゃんとの話の中で、この先の仕事のことで意見が微妙に噛み合わないことがあった。僕自身は客観的に考えても楽しくできそうだと思っていたけど、ゆきちゃんの中にはどこか引っかかる部分があってそれがスッキリしないという状態。
以前なら色々話しながら言葉や言い方を変えて説得しようとしてたけど、きっとそのうち何かのタイミングでゆきちゃんも同じ方向が向ける自信があったので深く話さず気持ちが変わるのを待っていた。
それから1-2週間くらい経ったある日、ある人と話していたら急にうまく楽しくできそうな気がすると言い出した。僕は一切説得も何もしていないのに。
どうやら自分の中でモヤモヤしていたものが話をしているときに大丈夫!と思えたらしい。きっとゆきちゃんの中でもずっと考えていて腑に落ちるところを探し続けていてそれが説得されるということではなく、なんらかのきっかけでストンと腑に落ちたんだと思うのです。

その場で話してすぐにわかることもあれば、わかるんだけどなんだかなーと思うこともある。子供のことも成長段階で大人のようにすぐに全てはわからないし、僕らだって親になって初めて親の言っていたことがわかるくらいの時間が掛かってる。

結論や結果を焦らず、言葉だけに頼らずに太陽と北風のようにじっくりゆっくり暖めてあげれるといいんだろうな。

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