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sosoの素(49)

こんなもんだよ

日々のことをするだけでぐったり毎日疲れ切る。
疲れるじゃなくて疲れ切るんだよね、エネルギーゲージが空になるみたいに。
加齢を理由にしちゃえばそれまでだけど、それだけじゃなくて単純に仕事量も多くなって来てるし一人でやってるっていっても責任だって結構あるからその緊張感も原因の一つだと思う。それは家事をしてくれてるユキちゃんだって同じで大人同士であれば適当にできることも子どもがいればそうはいかない。服一つとっても僕と二人だけのことなら僕は勝手に選んで着るけど、子供達のは準備をしてあげたり、汚れが酷くないかチェックしたり、暑すぎたり寒かったりしないかを気にしないといけない。だから働いてるから、火事だからとかそんな分かりやすい線引きじゃなくてみんな懸命にやってるから疲れちゃう。
あと個人的なことで言えば前に比べると息抜きみたいなタイミングは本当に減った。やめたとかしない様にしてるというよりも淡々とやるべきことをやってるとその時間すらもったいない気がしてしまってるから良くないね。今書いててふと思った。
こうやって疲れてくると若い時はもっと動けたとか、元気だった、夜更かしだって平気だったしなんてことを口にする。湧き水のごとく溢れてくる若さのエネルギー目減りしてくるとその豊潤さにまぶしささえ覚える。それと同時にそのエネルギーをどれだけ無駄にしてきたのかと自分のことを振り返ると目をそらしたくなる。笑っちゃうね。
そうやって無くなってきてから昔は良かったなんてぼやいてもしょうがないし、10年後の僕からみれば今の僕はピチピチで元気いっぱいなんだから今を楽しまなきゃねなんて思う。

僕らの頭ってご都合主義だななんてよく思う。
昔の思い出はどんどん美化されていくし、一旦恐れをなすとどんどん怖くなっていく。肉体としての自分は全く変わりなくとも少しのきっかけで頭の中でいろんなことを作り上げて暴走することだって珍しくない。思い返せば恋愛だってそれと同じ。

頭の中の自分はいつも元気で無理して頑張ってへろへろになっても死んだ様に寝て起きたらスッキリ元気みたいに思ってる。確かにそんな時もあった。そんな時を謳歌してくだびれ出した身体の今がある。死んだ様に寝ることだってもうできない。一度目が覚めれば寝付きが悪い。
それが現実で、頭の中は昔の残像。

そんなことを思うと、なんだかちょっと調子が悪いなーくらいが残念だけど今の僕の普通なんです。昔の残像を追いかけず、今のいまいちな状態を普通にする。それを許す。仕事でも家事でも完璧にできずうまくいかないことにくよくよせず、うまくいかないことをいつものことに設定するだけでちょっとスムーズにうまくいったりすると「素晴らしい!」と自分を褒めたくなる。昔の自分の残像が本来の自分として捉えず、残念な今の自分が本来の自分だとすることで期待しなくなって簡単に許してあげたくなる。
その自分を許す優しさが周りの人を許す優しさに変わっていく。

こんなもんだよって悪いことじゃない。

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